ダイヤモンドの安全・安心ってなに? 日本ブランドが挑む「Mine to Mine」
■「Mine to Mine」 鉱山から私のもとへ届くまで
これまでお伝えしてきたように、サバースのダイヤモンドはサザンアフリカ地帯の鉱山で責任を持って採掘された原石のみを使用している。とりわけ、ボツワナのジュワネング鉱山とレソト王国のレッツェン鉱山で採掘された、際立って大粒かつ最高品質の一部の原石については、その原石がどの鉱山で採掘されたかまで明らかにしている。 この「採掘場所まで明らかな原石」をサバースでは「Mine to Mine(マイン トゥ マイン)」ダイヤモンドと位置づけ、希少性の高さと大ぶりのサイズ感を生かした別格のジュエリーに仕立てている。 なかでも「Mine to Mine」を代表するコレクションの1つ、レッツェン鉱山で取れた大粒の奇跡の原石「レソトドリーム」の存在は特別だ。 世界で最も権威のある鑑定機関GIA(米国宝石学会)が原石時と研磨済後のデータを科学的に照合のうえ一致を認めた証明「M2M(Mine to Market)」カードが付与されるほか、GIAが「希少」と判断した石にのみ発行される「ポートレートレポート」も付与される。最高品質の証しとトレーサビリティーをさらなる高みへと導いた。 ところで、サバースダイヤモンド(サバースが販売するダイヤモンド)が基本的には0.17カラット(ct)以上であることをご存じだろうか。その理由は、小粒のダイヤを多量に研磨している他地域と異なり、より大粒で高品質なダイヤの研磨に特化しているからだ。だからこそ、仕入れるものはおのずと一定カラット以上のものとなる。 由緒正しき0.17カラット以上のサバースダイヤモンドには、ガードル部分にロゴとナンバーがレーザー刻印されている。2006年のブランド創設以来続く刻印は、まさに厳格な生産履歴管理の要といえよう。
■花を愛するあの人とのコラボジュエリー、第2弾も
サバースならではのユニークな取り組みとして、もう1つ。モデル/フラワーライフスタイルプロデューサーの畑野ひろ子さんとのコラボレーションジュエリーの話題にも触れよう。 サバースでは、ブランドが掲げる前述の「Mine to Mine」の精神と同様に、さまざまな分野で産地へのこだわりやリスペクトを持って活躍する女性たちをフィーチャーするHP(ホームページ)コンテンツ「SA MAGAZINE(エスエーマガジン)」を発信している。その第1回に畑野さんが登場したことをきっかけに、2023年11月にコラボジュエリー第1弾を登場させた。 モチーフとなったのは南アフリカ共和国の国花プロテア種の「ペトロ」。上の写真は、このサバース初のコラボジュエリーをまとう畑野さん。首から下げている2つのペンダントのうち、内側の小ぶりなものは「花芯モチーフ」、それよりひとまわり大きなドーナツ状のものは「花弁モチーフ」だ。これら2つのモチーフはいずれも、プラチナ、ピンクゴールドの2種をダイヤモンドと組み合わせる素材として展開している。 それぞれのモチーフを単体でまとっても、同じ素材のモチーフ2つを重ね合わせて1つのペンダントとしてもいい(上の素材別に並べた写真でそれぞれの右端にあるものが同素材で重ね合わせた場合)。畑野さんのように素材をミックスして重ねづけすることもでき、楽しみ方は自由自在に。 好評を博した第1弾に続き、南アフリカ原産の花をモチーフとした第2弾のコラボアイテム「Wax Flower(ワックスフラワー)」が2024年2月末にローンチしたばかり。ブランド初となるダイヤモンドとアコヤ真珠の可憐(かれん)なコンビネーションは、日常スタイルにもエレガンスの余韻を薫らせてくれるだろう。 最後に、よりサステナブルな未来に向けてサバースはどうあるべきかを浦田さんに尋ねたときの、彼女からのメッセージで締めくくりたい。 「サバースは『100年(3世代)以上受け継がれるもの』をコンセプトにジュエリーを創作し続けます。大切に継承される価値あるダイヤモンドを届けるのが、私たちの使命です」 サステナビリティーは一朝一夕には築き得ない。夢や憧れを運んでくれるダイヤモンドのブランドとして、透明性の高いトレーサビリティーの確立に取り組んできたサバース。ラグジュアリーは持続可能であることを体現していく挑戦は、この先もずっと続くはずだ。 より持続可能な社会とするために、私たち1人ひとりに何ができるのか。真新しいジュエリーを手にする前に、それが真に必要なのか、何十年先にも愛用し続けていることを想像できるのかどうか、考えをめぐらすことからはじめてはいかがだろう。 文:愛甲悦子(ファッション・ジュエリー&ウオッチエディター)
愛甲悦子
『家庭画報』『VOGUE JAPAN』『Harper's BAZAAR』などにおいてファッションエディターとして13年間の出版社勤務を経て、2010年に渡独しフリーランスに。エディター・ライター歴は25年以上。ドイツ・ケルンを拠点に女性誌の取材・撮影や、広告・カタログを手がける。 ※この記事は「THE NIKKEI MAGAZINE」の記事を再構成して配信しています。