ダイヤモンドの安全・安心ってなに? 日本ブランドが挑む「Mine to Mine」
■「消費者への安全・安心を担保する」を信念に
浦田さんはこう振り返る。「当時のダイヤモンド業界は、美しいダイヤモンドのイメージを損ないかねないリスクをはらんでいました」 原石がどこからやって来たのか開示されないダイヤモンド流通の不透明性、HPHT(High Pressure and High Temperatureの略、高温高圧)法やCVD(Chemical Vapor Depositionの略、化学気相蒸着)法による合成ダイヤモンドの混入や検査のすり抜けといった懸念。さらにレオナルド・ディカプリオ主演で話題を呼んだ、2006年の映画『ブラッド・ダイヤモンド』(国内では2007年に公開)でも浮き彫りとなったコンフリクトダイヤモンド(いわゆる「紛争ダイヤモンド」。紛争の資金調達のために不法に取引されるものを指す)の問題もある。 「そうした背景のなかで、内原グループの強みと社会的責任を考えた結果、『消費者への安全・安心を担保する』という信念にたどり着いたのです」(浦田さん) 1世紀以上続く老舗ダイヤモンド企業である内原。「私たちがすべてを賭けて立ち上げるダイヤモンドブランドは、見た目が美しい、あるいは経済的価値があるだけでなく、その背景もクリーンで美しく、関わるあらゆるステークホルダーにとっても幸せを享受できるべきだと考えました。コンフリクトダイヤモンドの根絶を目指す(国際的な証明制度)キンバリー・プロセスに基づく原石のみを扱い、当時としては前代未聞のダイヤモンドのトレーサビリティーを厳密に管理運営することで、私たちの理念を実現しようとブランド発足を試みたのです」
■「源流までさかのぼる」 輝きの目利きはアフリカへ
日本におけるダイヤモンドの調達といえば、インド・ムンバイといった研磨地やベルギー・アントワープのトレードセンターへ買い付けに行くことが一般的だった当時のことだ。 「極めて異例でしたが、源流までさかのぼることを決意し、優良な鉱山が存在する南部アフリカ地域一帯で原石の調達ルートを確立したのです」(浦田さん) 当時といえば、有力な産地である南アフリカは激動の最中。1994年にネルソン・マンデラ氏が黒人初の大統領に就任してアパルトヘイト(人種隔離)が完全撤廃に。マンデラ氏は大統領就任後、民族和解・強調を呼びかけ、黒人経済力強化政策を進めていった。 「一連の流れにより、2000年代には黒人の社会進出が促進されていきました。そうした世相を映すように、当社が初めて提携した南アフリカの工場は、南アフリカダイヤモンド協会の黒人会長である人物が取締役会会長を務める、研磨ファクトリーでした」