生物学者が歳をとってわかった「人生の意味」、人間にとって「自我」こそ唯一無二のものである
これは進化の過程でシステム上の大きな変化が起こったからだと考えられる。 ■環境に「合わせる」のではなく、環境を「選ぶ」 つまり、ネオダーウィニズムでは環境に適した突然変異が選択されて、生物が徐々に環境へ適応していったと信じられてきたが、そうではないということ。 クジラは水中での生活に適応するために突然変異と自然選択の繰り返しで今の形態になったのではなく、5000万年前のクジラは4本の足で地上を歩いていたが、脚がなくなってしまったので、仕方なく海に生活の場を求めたという考え方である。
そして人間も、環境に自分を合わせるのではなく、自分にとって都合のいい環境を選んで結果的に「適応」したようになるほうが生物として自然なのではないか、というふうに私は考えている。私はこれを「能動的適応」と呼んでいる。 コロナ禍のときに気づいた人も多いだろうが、会社のルールに縛られて働くよりも、自分の働きやすいところで働くことが生物としての本性に合っている。リモートで会社の業務がしっかりこなせるのなら、無理に定時出勤する必要はないだろう。
逆に他の人と直接会って会話などをしないと、仕事をしている気にならないという人もいる。 どちらも好きなように選ぶことができて、「ずっとリモートでもOK」「会社に立ち寄らず外回りだけをしていてもいい」というように、いろいろな仕事のやり方を選ぶことのできる会社が増えれば、徐々に日本の社会も変わっていくのではないだろうか。 自分の個性に合わせて能動的に適応するのが、生物としては正しい生き方なのだ。 ■「人生に生きる意味なんかない」ことに気がついた
極論を言えば、人生には生きる意味はない。ネガティブな思想のように聞こえるかもしれないが、これはきわめてポジティブな思想である。 「生きる意味」というものは「生きる目的」とセットになっていて、このことばかりに気を取られてしまうと、何か特別な目的が見つからないと生きることがつらくなり、周囲と自分を比べることが増えて孤独になり、最悪の場合は自殺に至ったりもする。 昆虫学者のジャン・アンリ・ファーブルは再婚相手との間で、64歳、66歳、71歳にして子宝に恵まれたという。