<機動戦士ガンダムSEED FREEDOM>福田己津央監督から“ラクス”田中理恵へ ミーア誕生秘話も 手紙全文
そこで両澤が、ラクスに理恵ちゃんを推してきました。両澤はラクスを演じられる人は、フレイができる人だけって、恐ろしいことを言ってました。ラクスもフレイも表裏両極端な芝居を要求されることが多かったということですね。歌も聞いて、レコード会社からも凄く上手いかただと太鼓判をいただきましたので、ラクスとしてのオーディションはしなかったのです。覚えてますかね?
両澤は本当に目をかけていたと思います。ガンダムという注目されるタイトルで、そしてまだ20代だった理恵ちゃんのプレッシャーは相当だと言っていました。ましてヒロインとして他にカガリとフレイがいる。その中で存在感を出していかなくてはならないのですから。よく1年やり切って、成長してくれたと思いました。
SEEDが終わった後、またデスティニーでラクスをやるという段階で、両澤はミーアというキャラを作りました。理恵ちゃんに合わせた役を作りたかったようです。まあ理恵ちゃんは2役という事で大変だったと思いますけど、結果は良かった。特にミーアの最後の「ミーア」の日記のモノローグは今も記憶に残ってます。
あの時は両澤も、大変なスランプでした。実は狙った形で物語が進んでいなかった。デュランダルと対峙できるほどにカガリが仕上がってなかった。そしてラクスにはデュランダルを討つべき、明確な理由がない。
困り果てた時、ミーアを起爆剤に出来ると両澤は思ったようです。ミーアの死が、ラクスの怒りと使命感を呼び起こすという最終局面につながったわけですから、ミーアがデスティニーのラストを作り、この映画の発端とラクスの成長の物語を作ったと言えるわけです。
本当にこの20年は出会いと別れの連続でした。私たちは数々の人と出会い、共に笑顔を分かち合いました。友人、仲間、恋人、夫婦、家族、私たちの人生に彩りを添え意味を与えてくれる存在。しかし、出会いは別れとも結びついています。私たちは愛しい人を失い涙しました。その痛みは心に深く刻まれ、喪失感を与え、大切なものの尊さを思い出させてくれました。出会いと別れは私たちの人生の旅路の一部であり、その重みが私たちを成長させてくれました。