「このまま一生チェロを」から一転、仏の道へ 醍醐寺104世座主、壁瀬宥雅さん 関西ひとめぐり
昨年12月、真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都市伏見区)の104世座主に就任した。貞観16(874)年に寺が開かれて今年は1150年の記念すべき年。今月14日から始まる慶讃大法要の準備に忙しい。「派手な事業はないが厳粛に法要を勤めたい」と力を込める。 古儀の復興にこだわっている。僧侶の試験のために行われていた問答形式の儀式「竪義会(りゅうぎえ)」は、廃仏毀釈の影響などで明治以来途絶えていたが、3年前に再興した。今回の法要でも目玉の一つとなる。 もう一つの大切な記念事業が、平成30年9月の台風21号で倒木が相次ぎ、甚大な被害を受けた境内の整備だ。長期間荒れたままで、参拝者からは「『マンションでも建てるのですか』と聞かれることもある」と苦笑いする。 醍醐寺は豊臣秀吉が最晩年に催した「醍醐の花見」でも名が知られ、花見の名所としても人気が高い。台風前の景観を取り戻すため、被害の甚大だった仁王門一帯を中心にサクラなどを植樹する計画を進めており、寄付を募っている。 50年前の開創1100年法要の際は僧侶になりたてで、訳も分からず裏方に徹した。それが半世紀後、今度は寺のトップとして法要に臨む立場になり「感慨深い」としみじみと語る。 醍醐寺塔頭(たっちゅう)の別格本山「理性院(りしょういん)」で生まれ育った。両親から「僧侶になれ」「跡を継げ」などと言われたことはく、伸び伸びとした少年時代を送った。 仏教の声楽曲「声明」を唱えるとき、1人だけ音程が外れていたら恥ずかしいだろうと両親が配慮し、4歳の頃から、バイオリンを習い始めた。同志社中学ではバイオリンからチェロに転向。音楽を通して豊かな人間性をはぐくむスズキ・メソードで知られる「才能教育研究会」に通って腕を磨いた。同志社大時代には、アルバイトの演奏依頼で多忙に。「僧侶にはなりたくないし、できればこのまま一生チェロを弾いて暮らしたいと思っていた」。ちなみに「男のロマンが感じられるブラームスが好き」だという。 一時は企業への就職も考えたが、当時は終身雇用が当たり前。数年で辞めると迷惑がかかると考え、意を決して僧侶の道に進んだ。