連載開始から約半世紀『はだしのゲン』で夫が伝えたかったこと。今年も8月6日のとうろう流しで歌う「広島 愛の川」を聞きに広島へ
◆漫画家と結婚し仕事を手伝うように 知り合った時、夫はすでに東京で漫画家になっていました。彼が広島に帰省した際、飲み会みたいなものが開かれて、私にも声がかかったんです。 話がとても面白くてねぇ。全員の分をご馳走してくださったのでお礼状を書いたら、忘れた頃に返事があり、「また帰省するんだけど会いませんか」と。会ったら、なんか惹かれるものがあったのね。知り合って半年ほどで結婚しました。 私、漫画家がどんな仕事で、どんな生活をしているか、まったく知らなくて。新婚生活は、東京の6畳一間のアパートでスタート。 当時夫は、月の半分はほかの漫画家のアシスタントをつとめ、残りの時間で自分の作品を描いていました。夜遅くまで起きて、わら半紙にネーム(コマ割りや台詞、人物などをおおまかに描いたもの)を描いて検討して、それから本番の紙に鉛筆で写すんです。それを今度はペンで描いていく。 真っ白い紙にペンをスッ、スッと走らせると、絵が現れてくるんです。初めて見ますから、まあ驚きましたし、感動しましたね。その様子をそばでじっと見ていると、面白くてあっという間に時間が経ってしまいます。
そのうち、「ベタ(黒一色に塗ること)を手伝ってみないか」と言われて、やるようになって。ヒマだから徐々に線や点などのペンタッチの練習をしているうちに手伝うのが楽しくなり、いつの間にかアシスタントをするようになっていたんです。 部屋には、白土三平さんの漫画がずらーっと並んでいました。ある日、手に取ってみたら、人物が生きているように見えた。「わぁ~っ、木も景色も全部が動いてる! 映画を見てるみたい」と見惚れてしまって。 夫に「白土三平の漫画、すごいねぇ」と言ったら、「そりゃぁ、すごいよ。オレも好きだから」。私が「この草、生きてるみたい」と言うと、「生きてるだろう」。そんなことを話しながら、ペンの使い方を教えてくれたりしました。 そのうち完全に独立して、週刊誌の連載で忙しい時だけアシスタントに来てもらうようになりましたが、私も家事をしながら手伝っていました。 子どもは娘が一人います。でも私は教育ママじゃないから、ほったらかし(笑)。娘も、家に帰るとカバンを置いてバーッと遊びに行くような、まさにガキンコという感じの子でした。
中沢ミサヨ