<わたしたちと音楽 Vol.39>ゆっきゅん 心を守ってくれた音楽で、次は自分が世界を広げる
米ビルボードが、2007年から主催する【ビルボード・ウィメン・イン・ミュージック(WIM)】。音楽業界に多大に貢献し、その活動を通じて女性たちをエンパワーメントしたアーティストを毎年<ウーマン・オブ・ザ・イヤー>として表彰してきた。Billboard JAPANでは、2022年より、独自の観点から“音楽業界における女性”にフォーカスした企画を発足し、その一環としてインタビュー連載『わたしたちと音楽』を展開している。 今回のゲストは、活動10周年を迎えたDIVAのゆっきゅん。2014年にアイドルとして活動をスタートし、【ミスiD2017】ではファイナリストに。ユニット「電影と少年CQ」のメンバーとして活動しつつ、2021年からはセルフプロデュースでのソロ活動「DIVA Project」を始動し、作詞や執筆、ポッドキャスト配信など、様々なメディアを用いて発信を続けている。フィメールアーティストのファンであることも公言しているゆっきゅんに、音楽業界とジェンダーについてどう考えているかを聞いた。
幼い頃から感じていたズレをフェミニズムが肯定してくれた
――“ゆっきゅん”として活動をスタートするまでのゆっきゅんさんについて教えてください。 ゆっきゅん:子供の頃から、女の子の友達のほうが多くて、親からも自分が自分らしくあることを否定された経験はなく、“男らしさ”みたいなものを強制されることからは逃れ続けて生きてきました。クラスメイトには自分みたいな人はいないし、特殊な存在ではあったと思います。高校3年生のときに雑誌で紹介されていて知った、上野千鶴子さんの『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』などを読み始めたことでフェミニズムやジェンダー論に出会うんです。同じ時に『はじめてのジェンダー論』(加藤秀一)を読んで今まで感じていた違和感の正体がわかったような気がして、「やっぱり自分は間違っていなかったんだ」「やりたいようにやっていいんだ」と思いました。それまでも、「私は別に何も悪いことしていない」という揺るがない気持ちはあったのですが、そのことについてきちんと研究している人がいて、明文化されているのだと知って、救われた思いがした。高校の頃までは気持ちや振る舞いの問題でしたが、東京には可愛い服を着ている人がたくさんいて、自分もスカートやワンピース、ドレスを自由に着るようになり、自分にも誰にでも色々な選択肢があるのだと20歳くらいで再確認したんです。 ――そうやってご自身の可能性を確信し、“ゆっきゅん”という存在として外に発信していくことには、使命感のようなものを感じていたのでしょうか。 ゆっきゅん:自分を偽って生きることが私には難しかった。思っていないことは言えないし、着たくない服を着て私として外には出られない。自分にとって当たり前になっていることを、既存の価値観に無理やり合わせるほうが負荷が高いんですよ。ずっとそうやって生きてきたので、人と違うこととかはそこまで自分にとっては問題がなかったんですね。あとはそんな自分が人前に立って輝いていることで、何かを受け取ってくれる人が絶対にいるだろうと思ったというか……10代の中学生とか高校生だった頃に、自分みたいな人がいたら救われただろうなとは思っています。自分みたいな人が真ん中で輝くべきだという使命感があります。