【芸術の秋に行きたい展覧会】メキシコと日本を往来し画家・美術教育者として活躍した北川民次の画業を辿る
なんという愛らしいロバ! これは、1921年にメキシコに渡った画家、北川民次の作品。メキシコと日本で民衆にわけ入って描き、社会運動としての芸術を実践し、教育者としても活躍した彼の生誕130年を記念した展覧会が世田谷美術館で開催中だ 北川民次の描いたメキシコの情景
北川民次は、1894年に静岡の製茶業の両親のもとに生まれた。文学や美術、演劇に興味をもち、早稲田大学予科を中退。1914年、20歳で兄を頼ってアメリカに渡った。この頃のアメリカでは緑茶の市場開拓が進み、北川の兄もオレゴン州ポートランドで茶葉を商っていたという。ニューヨークに移り、劇場の舞台背景制作の仕事をしながら美術学校に通った。 1920年、「もっと充実したライフと暖かさを求めて」南へ向かい、アメリカ南部を経てキューバに到着。そこで現金とアメリカ時代のドローイングをすべて盗まれてしまい、描きかけのキャンバスと絵の具箱だけを持って翌年にメキシコに辿り着いたという。約15年間のメキシコでの活動を経て帰国し、日本では東京と、疎開先の瀬戸を拠点に制作。1955年にメキシコを再訪している。 北川の最大の特徴は、民衆を描き続けたことだ。メキシコでは、先住民族の村に分け入って、その暮らしを描くこともあった。 「本展でメインビジュアルとした作品《ロバ》は、北川の代表作とまでいえる大作ではありませんが、彼がメキシコの美術界に認められるきっかけとなったという意味で重要な作品です」と、担当学芸員の塚田美紀氏。メキシコ先住民たちにとって大切な家畜であるロバを描いた温かなまなざしが受け入れられたのだという。 その姿勢は帰国後も変わらなかった。
第2の特徴が、1910年~1917年にかけて民主主義革命を成し遂げたばかりのメキシコで盛んだった芸術運動を、日本でも展開したこと。美術教育と壁画だ。帰国後、絵画制作とともにこれらにも取り組んだ。 「野外美術学校」は、子どもたちの自発性を尊重する自由な制作を目指して芸術家らによって設立され、政府の支援のもとメキシコ各地に広がった。先住民の子どもを中心にさまざまな年代の人々に対し、美術を通じて新たな社会への理解を深める啓蒙の場となったという。北川もこの活動に参加し、メキシコシティから170km離れたタスコで校長も務めた。この頃、北川のもとを藤田嗣治やイサム・ノグチが訪れている。この学校が閉鎖された1936年、北川は日本に帰国した。 帰国から13年後、北川は念願の日本版「野外美術学校」ともいえる「名古屋動物園児童美術学校」を開校。新聞広告などを見て集まった生徒が毎週日曜日に名古屋の東山動物園に通い、自由に動物の絵を描いた。この作品は雑誌に掲載され、大きな反響を呼んだという。本展では、実物と映像で当時の子どもたちの、のびのびとしたユニークな表現を観ることができる。