八名信夫が語る悪役の良さ「死ねばお役御免。すぐ別の現場に行ける。冬の池に落ちると危険手当も付いた」
東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に投手として入団。ケガが原因で選手生活を断念し、映画俳優として活躍を始めた八名信夫。1983年には悪役商会を結成し、以降、CMやバラエティ番組でも活躍。被災地支援も行っている彼のTHE CHANGEとは――。【第1回/全2回】 ■【画像】八名信夫、悪役の素顔 野球がうまかったおかげで、高校は甲子園出場の常連校、岡山東商でエースとして投げ、大学は明治に進んだんだよ。立教の長嶋茂雄とは同期。ただ、当時はシゴキがすさまじかった。俺は先輩部員に目の敵にされ、毎日のようにぶん殴られた。 このままじゃ殺されると思って、同期の仲間の助けを借りて寮を脱走し、そのまま大学は中退。 幸いすぐにプロから声がかかったんだよ。東映フライヤーズに契約金120万円で入団が決まった。当時は100万円もあれば、小さな家が一軒買えた時代だよ。 せっかく入ったプロだったけど、3年目のこれからってときに、大ケガしてさ。ピッチャープレートを蹴った右足のスパイクがプレートの裂け目に食い込み、抜けなくなった。 そのまま後ろに倒れたらしいんだけど、俺自身は記憶がない。気づいたときは病院のベッドだった。腰の骨がくだけていて、結局、グラウンドに戻ることができたのは2か月後。 そして翌年、大川博オーナーから「野球はクビ。東映の東京撮影所と契約しろ」という通達があった。俺は事務でもするのかと思って撮影所に行くと、所長から言われたのは、「俳優の勉強をしなさい」。それでピチピチの黒いタイツをはいて、鏡の前でダンスのレッスンまでさせられた。やってらんなくて撮影所長に「もう辞めさせてください」と頼んだら、「高倉健だってやったんだ」って止められたよ。 映画に出るようになっても、最初は通行人。しかもタッパがある(身長182センチ)から目立ちすぎて、遠くを歩けと言われる。顔なんか映らないよ。そこで俺が目を付けたのが悪役。ある撮影で、主役に撃たれた悪役が死ぬ場面を見て、これなら俺のほうがうまくできると思ったんだ。