八名信夫が語る悪役の良さ「死ねばお役御免。すぐ別の現場に行ける。冬の池に落ちると危険手当も付いた」
危ない目には何度も遭ったよ
「俺はデカいから、倒れたときにぶわっとホコリが立ち、迫力が出るはずです。一度やらせてください」 俺は助監督に灰を多めにまくように頼み、灰がたくさん舞い上がるようにトレンチコートを着て本番に臨んだ。それで、撃たれた瞬間、腹を押さえながら灰の上に倒れたんだ。灰は鮮やかに舞い上がったよ。 これがきっかけで俺を指名する俳優や監督が増えた。俺は運動神経もいいから、立ち回りで主役にケガをさせることもないしね。それに悪役は、死ねばお役御免。すぐ別な現場に行ける。要するに数をこなせるわけだ。冬場、池に落ちれば500円とか、危険手当も付いたしな。 危ない目には何度も遭ったよ。『警視庁物語』(1963年)では、上野駅の構内を刑事に追われて逃げる犯罪者の役だったんだけど、隠しカメラでの撮影。俺が修学旅行の女子高生の中を走ったら「キャーッ!」って悲鳴が上がるわけ。そしたら、駅でたむろしてた男たちが一斉に飛びかかってきて、ボコボコに殴られた。「映画だ!」と叫んでも離してくれない。死ぬかと思ったよ。 高倉健さんの『網走番外地 吹雪の斗争』(67年)では落馬したこともあった。スタッフが慌てて走ってきたけど、心配するのは俺のことじゃなくて馬のほう。こっちは脳震盪だっていうのにさ。 健さんは寒い冬の北海道でも、ロケ中は用意されたテントには入らなかったね。自分の出番がなくても外に立ち、現場を見守るわけさ。でも健さんはコートに長靴。こっちは薄っぺらい囚人服にゴムスリッパだから、凍え死にそうだった。 八名信夫(やな・のぶお) 1935年8月19日、岡山県岡山市生まれ。明治大学を経て、東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に投手として入団。ケガが原因で選手生活を断念し、映画俳優として活躍する。1983年にギャングや悪党を得意とする俳優の集団、悪役商会を結成。以降、CMやバラエティ番組でも活躍。被災地支援も行っている。 THE CHANGE編集部
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