【皇室コラム】 「その時そこにエピソードが」 第24回 <両陛下が訪ねたインドネシアの〝いちばん長い日〟>
日テレNEWS
天皇皇后両陛下が6月に訪問されたインドネシアで、不思議に感じたことがありました。独立宣言の日付の年が、日本の「皇紀2605年」を略した「05」だったことです。独立を宣言したのは1945(昭和20)年8月17日、軍政を敷いていた日本の終戦の2日後です。その前日に「建国の父」とされるスカルノらが誘拐され、救出を待って徹夜で宣言が練られる緊迫のドラマがありました。インドネシアの〝いちばん長い日〟。多くの日本人も交錯した革命前夜とそれからをたどります。(敬称略)(日本テレビ客員解説員 井上茂男)
■独立宣言の日付に残る日本の「皇紀」
首都・ジャカルタ。ろうそくを思わせる白い塔が「独立広場」の中央にそびえています。高さ約135メートル。独立記念塔「モナス」です。6月中旬、天皇皇后両陛下の取材の折に訪ねると、学年末を迎えて学生や小学生のグループや家族連れでにぎやかでした。 展示室の壁に鳥の国章「ガルーダ」が掲げられていました。両翼の羽はそれぞれ17枚、尾の羽は8枚、尾の付け根の短い羽は19枚、首の付け根の短い羽は45枚。羽の枚数が独立を宣言した「1945年8月17日」を示しています。
音楽が流れ、ガルーダの先にある重厚な扉がゆっくりと開きます。伝説の聖獣バロンが姿を見せ、その口が開いて「独立宣言文」が現れました。「ここにインドネシアの独立を宣言する」。男性の力強い声が聞こえてきました。 宣言文には正副大統領となるスカルノとモハマッド・ハッタの署名が並んでいます。ジャカルタの玄関「スカルノ・ハッタ国際空港」に名が冠された2人です。力強い声は「建国の父」と呼ばれるスカルノの肉声でした。
署名の上部にある日付に目が止まりました。「17、8、05」。「05」の意味を調べると、それは神武天皇が即位した年から数える日本の「皇紀2605年」の略でした。ガルーダは「1945」なのに、独立宣言はなぜ「05」なのか、理由を知りたいと思いました。