『ビートルジュース ビートルジュース』 ゴーイング・アンダーワールド!ティム・バートンとウィノナ・ライダーが夢想する死者と生者のダンス
三世代の女家族の物語
『ビートルジュース ビートルジュース』は3世代に渡る女家族の物語だ。アストリッドはリディアがビートルジュースに会った年齢と同じ年頃にある。アストリッドは父親の霊とつながることができないリディアの能力を疑問に思っている。ジェナ・オルテガはアストリッドを演じるにあたり、『ビートルジュース』のウィノナ・ライダーの演技を研究したという。自転車に乗ったアストリッドは車に跳ねられそうになる。もっとも死に近づいた瞬間に、彼女の中で何かが開けていく。リディアが母親のデリアの価値観に反発していたように、アストリッドは母親に強く反発している。物語はデリアの夫、アストリッドの祖父の死から動きだす。葬式から始まる新たな物語。リディアは父親の葬式の場でマネージャーのローリー(ジャスティン・セロー)にプロポーズされる。この映画にふさわしい不謹慎な笑いのシーンだが、ふと、このシリーズにおいて葬式と結婚がコインの裏表の関係にあることに気づかされる。死体の花嫁=コープス・ブライドというテーマ。前作の降霊術のシーンでは、交通事故で亡くなった夫妻がタキシードとウエディングドレスを着て目の前に降りてきた。しかし夫が妻の手を握ると、その手は粉々に砕けてしまう。 結婚というテーマは何度も反復される。ビートルジュースは前作に続きリディアとの結婚に執着している。リディアは現実の世界ではローリー、死後の世界ではビートルジュースから求婚されている。アストリッドはローリーのことをよく思っていない。そしてリディアはローリーに恋をしているわけではない。リディアというヒロインが恋をしていない女性であることに、『ビートルジュース ビートルジュース』のフェミニズム的な側面、痛快なまでの家父長制への否定がある。アストリッドはハロウィンでキュリー夫人のコスプレをする。アストリッドはマリ・キュリーのことをフェミニストの先駆けだとボーイフレンドに教えている。 死後の世界においては、ビートルジュースが昔の妻ドロレス(モニカ・ベルッチ)と結婚式をあげるシーンが、イタリアのジャッロ映画風のモノクロ映像で描かれる(これぞティム・バートンの真骨頂!と快哉を叫びたくなるほどキレのある映像。2人のスピンオフ作品の制作を熱望する!)。ホッチキスでバラバラになった顔や体を留めていくドロレス。彼女はビートルジュースへの復讐に燃えている。ドロレスは本作で最も恐ろしい怪物だ。彼女の不完全な身体には狂おしさが宿っており、ビートルジュース以上に得体の知れなさがある。だからこそ魅力的だ。モニカ・ベルッチは現在のティム・バートンのパートナーでもある。 変わっていくことを恐れない女性たちと、あの世で時間が止まったままの男性たちという構図が浮かび上がる。その意味で元映画俳優であり、あの世では警官の職に就いているウルフ(ウィレム・デフォー)というキャラクターは象徴的だ。ウルフは事務所に主演作品のポスターを飾り、生前の有名な映画俳優だった頃の栄光に囚われている。ウルフは目の前にいる人と話しているのではなく、かつてスクリーンの向こう側にいた自分のファンに向けて語りかけているようだ。ウルフにとっては警官の職務は俳優業、“パフォーマンス”なのだろう。止まったままの時間を生きているウルフはひどく愉快でひどく滑稽であり、変われずにいる姿はせつなくもある。 死後の世界には現実の世界とそう変わらないつらさがあるのかもしれない。しかし『ビートルジュース ビートルジュース』は死者と生者がバカ騒ぎをすること、ダンスすることを夢想する。大人になったリディア=ウィノナ・ライダーが、どこかに置き去りにしてきた孤独な少女時代とダンスをしているように。変わってしまった自分と昔の自分がバカ騒ぎをする。墓をあばくときは今だ。許し合う必要なんかない、ただ踊れ。なにか愉快なことを企んでいそうなリディアの声は、観客の一人一人に“ショー・タイム”の合図を投げ続けている。 出典 ※1;「バートン・オン・バートン」マーク・ソールズベリー編・遠山純生訳(フィルムアート社) ※2:[How Winona Ryder Made It to the Other Side] Harper’s BAZAAR ※3:「Winona Ryder Biography」Nigel Goodall
文 / 宮代大嗣