『ビートルジュース ビートルジュース』 ゴーイング・アンダーワールド!ティム・バートンとウィノナ・ライダーが夢想する死者と生者のダンス
リディア・ディーツとウィノナ・ライダー
「ウィノナに初めて会ったとき、彼女は10代の頃に自分が感じていたことを思い出させてくれた」(ティム・バートン)※2 「黒一色の時代だった」(ウィノナ・ライダー)※3 黒いドレスを着た青白い顔のティーンエイジャー、ディア・ディーツには幽霊が見える。あの世とこの世をつなぐ物語のキーパーソン。黒いヴェールを纏うゴシックな装いの少女は、10代の傷つきやすさを象徴しているかのようだった。『ビートルジュース』でウィノナ・ライダーが演じたリディアというキャラクターは、ティム・バートンのオルターエゴに留まらない。10代だったウィノナ・ライダーにとって、リディアはそれ以上の存在となる。ウィノナ・ライダーは、“リディア・ディーツ”の刻印が彫られたブレスレットを身に着け、自分の部屋をリディア風に模様替えしている。また、リディアのイメージに合わせ、エドワード・ゴーリー風の人形を収集していたという。ウィノナ・ライダーにとってリディアは自身の思春期=黒一色の時代と完全に共鳴していた。『ビートルジュース』の予想外ともいえる大ヒットにより、リディア・ディーツは後世に語り継がれるキャラクターとなる。エマ・ストーンは一番好きな映画のキャラクターとしてリディアの名を挙げている。『クルエラ』(2021)でゴシック・ファッションを纏うヒロインを演じたとき、エマ・ストーンの頭にあったのはリディア=ウィノナ・ライダーのイメージだったのかもしれない。リディアのスピリッツは確実に受け継がれている。 大学時代に映写技師をしていたウィノナ・ライダーの母親は、就寝前に映画の上映会を開いていたという。ウィノナ・ライダーは母親の影響でフィルムノワールの傑作群をはじめ、古い映画を愛好することになる。子供時代のこの経験はウィノナ・ライダーの俳優としての礎となる。“瞳ですべてを語ることができる俳優”。ティム・バートンのみならず、『ドラキュラ』(1992)に彼女を起用したフランシス・フォード・コッポラや、『17歳のカルテ』(1999)を撮ったジェームズ・マンゴールドは、まったく同じ言葉でウィノナ・ライダーの持つサイレント映画の俳優のような資質を称賛している。ウィノナ・ライダーにとってリディア役は、自分が自分でいることを受け入れてくれてくれた最初のイメージであり、すべての始まりとなったキャラクターといえる。孤独なティーンエイジャーだった彼女にとって、それはどれほど力強い結びつきだったことだろう。 『ビートルジュース ビートルジュース』のリディアは年を重ねている。かつてクールなティーンエイジャーだったリディアは、いまでは母親となり、年頃の娘アストリッド(ジェナ・オルテガ)から反発されている。娘のアストリッドは、かつて芸術家の母親デリア(キャサリン・オハラ)に反発を抱いていたリディアの通った道にいる。『17歳のカルテ』や『リアリティバイツ』(1993)をはじめ、X世代の代弁者のように映画に出演していたウィノナ・ライダーは、非常に困難だった30代を超え、特にNetflixの「ストレンジャー・シングス」シリーズ以降、新たなキャリアのモードに入ったように見える。本人にとってきっかけとなったのは『ブラック・スワン』(2010)への出演だったという。『イヴの総て』(1950)のベティ・デイヴィスを念頭において役に取り組んだウィノナ・ライダーは、落ちぶれたバレリーナ役を演じることで、それまで背負っていたものから卒業できたような、晴れやかな気持ちになれたと語っている。 しかし『ビートルジュース ビートルジュース』のウィノナ・ライダーは、まったくエッジを失っていない。超常現象を扱うテレビ番組に出演することで大衆からの人気を得ているリディアは、昔より遥かに自分を客観視できているが、それでも少女時代と同じく深い闇を抱えているように見える。ビートルジュースの“トラウマ”は決して拭い去れるものではないということだろう。大人になりアストリッドの母となったリディアは、かつてと同じ人間だが同じ人間であってはならないことを知っている。リディアにはアストリッドの母親としての役割がある。しかしリディアは心の中で少女時代のリディアと共に歩いている。黒一色だった時代へのアンビバレンスな感情が、ウィノナ・ライダーの演技をエッジのあるものへと押し上げている。