球界関係者の怒り「落合のあの表情がダメ」「巨人がカネで四番を買うなんて恥だ」落合博満40歳のFA移籍…原辰徳は焦った「異例の猛練習」
長嶋監督への不満「あくまでスターなんだよね」
その長嶋巨人をFAで自ら飛び出して、1993年オフに横浜ベイスターズへの移籍を決断した駒田徳広は、週刊誌上で中畑清打撃コーチとの確執に加え、「長嶋さんという人は、管理者ではなく、あくまでスターなんだよね」と古巣への不満を口にした。 「個人的に長嶋監督は好きかって? 好きとか嫌いとか言える段階まで人間付き合いさせてもらってないもの。みんなそうだったんじゃない? それではチームとしてうまく機能しないですよ」(週刊現代1994年1月1・8日号) 青年監督だった第一次長嶋政権の年が近い兄貴分から、第二次政権では親子以上に世代が違う。自分がそこにいては選手が遠慮して飯も不味くなるだろうという、国民的スーパースターの気遣いが結果的に選手との距離を生んでしまったのだ。昔を知るベテランの篠塚和典は、シーズン終了後に「選手たちは、監督からのちょっとした一言を待っているんです」と訴えた。これを反省したミスタープロ野球は、2年目の1994年になると頻繁に食事会を開き、積極的に選手と交流するようになっていくが、それはまた少しあとの話である。
原辰徳「落合さんが来るんだから…」
そして、落合の加入により、すっかり“四番失格”の烙印を押された形になったチームの顔の原辰徳だったが、実は長嶋が巨人監督に復帰する前年、極度の打撃不振に苦しんだ1992年5月にアナウンサーの深澤弘に連れられて、田園調布の長嶋邸を訪ねている。マンツーマンの打撃指導を受けるためだ。打席で外角低めから視線を投手に移すので、左肩がホームプレートのほうに入ってしまう原の癖を指摘したミスターは、「外角ではない、内角だよ。そのあと投手を見るんだ。そうするとボックスのなかで、背筋を伸ばして自然体で立てる」と熱血指導。原は庭に面したリビングルームで真夜中に汗だくになって、1時間半もバットを振った。そこに冷たいお茶とメロンを持ってきた亜希子夫人は、楽しそうにこう言って笑ったという。 「こんな雰囲気、久しぶりですね。何年ぶりかしら。ウチの人が現役時代には毎晩こうだったから。これで原さんが打てるようになるといいわね」(わが友 長嶋茂雄/深澤弘/徳間書店) 92年は熱血指導により打撃復調した原だったが、いざ長嶋監督が復帰した93年はプロ入り以来ワーストの11本塁打に終わり、94年になるとレギュラーの座すら危ぶまれていた。崖っぷちの背番号8は、オフにオーストラリアへ飛び、「野球選手は、試合に出なくちゃ、始まらないからね。そりゃ落合さんが来るんだから、ボクがサードを守った方がいいんじゃないの」と12月中旬から約1カ月間の異例の海外トレーニングに励んだ。長年チームの顔を務めた原や篠塚といった生え抜き組と、大物落合の関係を加入直後から、マスコミは煽るように報じた。 そんな喧噪の中、落合本人は和歌山県太地町にオープンした落合記念館で、正月明けに例年より早い自主トレを始動する。 <後編に続く>
(「ぶら野球」中溝康隆 = 文)
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