球界関係者の怒り「落合のあの表情がダメ」「巨人がカネで四番を買うなんて恥だ」落合博満40歳のFA移籍…原辰徳は焦った「異例の猛練習」
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「40歳落合、巨人での初キャンプ」を紹介する。「ジャイアンツはこんなに練習しないのか…」落合が漏らした思わぬ本音とは? 【全2回の前編/後編も公開中】 【貴重写真】「グラサンでグレーのスーツ姿がヤバい…」40歳落合博満のスゴい存在感&なぜかサッカーする落合、94年巨人の超豪華メンバーなどすべて見る ◆◆◆
球界関係者の“怒り”「金で四番打者を買うなんて…」
「落合が『一番高いものを出すところに行く』といっているけど、まあ、これは選手としては当然の発言。いうのはかまわん。かまわんけどもあの表情がよろしくない。『お前さんだけでプロ野球が動くのか? プロ野球はお前さんのためにだけあるのか? 』あの表情に対してオレはそういいたくなる」(週刊ベースボール1993年12月27日号) これは元西鉄の強打者・豊田泰光の連載「オレが許さん!」で落合に向けられた言葉である。豊田はジャイアンツが少年たちの憧れであり、「その子供たちに、巨人に落合が来ることで、ダーティー・イメージを与えるとしたら、これは由々しき問題である」とまで書いている。 1993年の年末から94年の年明けにかけて、FA宣言をした落合の巨人移籍に対して、多くの球界関係者やOBが否定的で、怒りや不快感を露わにした。まだ当時の日本社会は年功序列や終身雇用の価値観が根強く、プロ野球でもひとつの球団でキャリアを終えるのが当たり前で、移籍は「所属チームから出される」というマイナスイメージの方が強かった。好条件を求めて選手が球団と交渉することすらワガママと取られてしまう、そんな時代である。だが、FA制度はそういう昭和的な価値観を根本から変えてしまった。ライターの近藤唯之は、「私は心の底から情けないと思う」とコラムの中で長嶋巨人のオレ流獲得を痛烈に批判している。 「天下の巨人、名門巨人、優勝回数三十五回の最多優勝を誇る巨人が、金で四番打者を買うという、この現実が情けなくてたまらないのである。(中略)四番はチームの一枚看板である。それを毎年、買い込んできて恥ずかしいと思わないのだろうか」(小説新潮1994年2月号) 長嶋茂雄や王貞治を輩出してきた球界の盟主がカネで四番打者を買う―。しかも、その看板をど真ん中で背負ってきた長嶋自ら、3年間優勝から遠ざかるチーム再建を40歳の外様スラッガーに頼った。導入されたばかりのFA制度を、これほど生々しく象徴する移籍は他になかった。いわば、落合博満は、巨人軍の伝統を破壊した男だった。
【関連記事】
- 【続きを読む】「ジャイアンツはこんなに“練習しない”球団なんだ…」40歳落合博満が巨人初キャンプで厳しい本音「中日よりもロッテよりも…練習量は半分以下」
- 【貴重写真】「グラサンでグレーのスーツ姿がヤバい…」40歳落合博満のスゴい存在感&なぜかサッカーする落合、94年巨人の超豪華メンバーなどすべて見る
- 【《松井との不仲説》編を読む】落合博満42歳が苦言「巨人の若手は練習をやらされてるよ」落合vs松井の不仲説「正直に言います…」21歳松井秀喜が落合に宣戦布告した日
- 【《18歳落合》編を読む】「所持金はわずか5円だった」18歳落合博満、“失敗続き”の日々「練習はサボってばかり」高校野球のシゴキを嫌った男が25歳でプロになるまで
- 【《巨人FA移籍》編を読む】「テレビ生放送で落合博満がいきなり…」40歳落合の巨人FA移籍は事件だった…ナベツネ「ウチなら5億円出す」原辰徳は不快感「落合さんは筋違い」