700人のSingers「ヒューマンノート」を率いる寺尾仁志
夢に向かっていくと毎日めちゃ楽しい
──ヒューマンノートとはどういうものですか。 寺尾:そのコンサートのあと、色んな発想がわいてきた。その時はまだヒューマンノートの名前もなかった。150人からスタートし、とにかく、ゴスペルオリジナル曲をつくろうと思った。ど素人の集団でもエンターテインメントをつくれると思ったんですね。ならば曲がいる、力のある曲がいる。その時、平義孝が助けてくれた。彼はすごい曲をつくるし、2008年に依頼したんです。その時にできた曲がオリジナル曲の「よろこびのうた」です。それを歌いながら、活動を続け、結果、僕らは今メンバー700人になった。ハンディーキャップを持った人もいれば、おばあちゃんもいるし、いろんな人がいる。歌ってみんなが好きだし、歌いながらいっぱい夢が見られる。誰かを励まし、歌ってるメンバーも励まされるんです。 ──海外にも活動を広げている? 寺尾:音楽とか歌ってすごい力があるものやなあと、海外に行って強く感じました。80万人が住んでいるスラム街で歌ったこともある。日本人はかわいそうやというイメージを持つけど、この子らはこれが幸せ、決してかわいそうじゃない。活動を通じてそれを伝えたいと思った。プロ野球の松坂大輔選手が「僕は夢は嫌いです」って言ってはって、「夢は見ない、夢は実現するもの。夢はやるかやらないか」だって。確かにそうで、ケニアに行くとか、最初はメンバーもわからなかったし、予想もしてなかった。でも今、夢を具現化してきている。一歩踏み出すか、それだけやと思う。 ──ヒューマンノートで学んだことは? 寺尾:ヒューマンノートをやってて、僕はふたつ学んだことがある。1つは夢について。ホンマにやりたいこと、つまり、少しずつ前進する夢はこんなにも充実するんやなと思ったこと。もう1つは、その夢が誰かのためになる、誰かのためになれば、こんだけ仲間ができるということ。夢に向かっていくと毎日めちゃ楽しいし、仲間ができるんです。 実は僕、友達ぜんぜんいないんですよ。高校の同窓会とかも行ったことないし、誰からも呼ばれなくなった。でも、仲間はむっちゃいる、同じ志の仲間がいる。35歳までいろいろやってきたけど、ぜんぜん動かなった、変わらなかった。なのにヒューマンノートを始めて、このプロジェクトで出合うビジョンって、本当にワクワクするんです。もちろん今でも、あの時のメールのことは忘れていません。 (文責/フリーライター・北代靖典)