<The追跡>破産か?民事再生か? 船井電機になにが起きていたのか元社員、現会長を直撃【WBS】
破産手続き開始の決定が出ている船井電機の原田会長が破産手続きに反発し、民事再生法の適用を申請しました。そもそも「世界のFUNAI」とも呼ばれたほどの企業が、なぜ突然破綻することになったのでしょうか。船井電機に何が起きていたのか。当事者を直撃しました。 大阪・大東市にある船井電機本社。大江麻理子キャスターに同行してくれたのは、船井電機の調査を担当した「東京商工リサーチ」関西支社情報部の藤本真吾さんです。 「(社内に)電気がついていますが、まだ人が入っている?」(大江キャスター) 「破産手続きに入っているが、まだ残務処理で人がいる」(藤本さん)
事前に船井電機について不穏な動きを掴んだ藤本さん。破産手続きの開始が決定された10月24日にも船井電機本社を訪れていました。そのときに藤本さんが撮影した写真です。 午後2時すぎ、最上階の食堂の窓には大勢の人影がありました。緊急の社員説明会が開かれていたのです。まさにその場で従業員500人以上に解雇が通告されました。
元社員の証言
このとき説明会に出ていた船井電機の元社員の田中さん(仮名)から話を聞くことができました。 「昼休みが終わった後に全社の社内放送があり、従業員全員、筆記用具を持って食堂に来てくださいという放送があった。『給料も払えないので、会社は破産の申請が裁判所で認められたので、皆さん解雇です』と言われた」(田中さん) そこで手渡されたのが解雇通知です。さらに厳秘と書かれた用紙には「資金不足のため給料を支払うことができません」とあり、退職金の支払いに関して「時期は未定」と記載されていました。 「『ああ、やっぱり』という空気感はただよっていた」(田中さん) 船井電機でエンジニアとして勤めていた田中さん。実は今年の春頃からある異変を感じていたといいます。 「量産のための部品が買えないことや、製品の量産ができず工場が止まったりしていたので、なにか怪しいなと思っていた」(田中さん) 一体なぜ船井電機はこのような状況に陥ってしまったのでしょうか? 船井哲良氏が創業したミシンの卸問屋が前身の船井電機。1980年代にAV機器製造に参入し、テレビとビデオが一体となったテレビデオで一線を風靡しました。2000年代には液晶テレビが北米で高いシェアを誇り、「世界のFUNAI」とまで言われるようになりました。 ただ、近年中国や台湾メーカーとの競争が激化し、徐々に業績が悪化。さらに創業者の船井哲良氏が2017年に死去し、経営基盤が揺らいでいくことになります。 「特徴的なのが、秀和システムという船井電機と比べると小さな出版社の子会社がTOB(株式公開買付け)をした」(藤本さん) この秀和システムの社長を務めていた上田智一氏が船井電機の経営の主導権を握り、非上場化されます。その上田氏が船井電機を浮上させるために取った手段が脱毛サロンのミュゼプラチナムの買収です。美容家電とのシナジー効果を狙いますが軌道に乗ることなく、1年で売却することになります。 この他にも買収したときに借りた金の返済を迫られるなど、上田氏が経営の主導権を握っている間、船井電機から流出した資金は合わせて300億円にも上ります。 そして今年9月、上田氏は船井電機の経営権を1円でファンドに売却。その直後に社長を退任します。そのファンドの住所を改めて訪ねてみると、インターホンに出た人物は「全然知らない。聞いたこともない」と答えました。 混乱を極めた船井電機が迎えた10月24日。創業家の親類である取締役の1人が単独で「準自己破産」を東京地裁に申請します。破産に関する説明会に参加していた元社員の田中さん。弁護士の口からは「集めた金がすぐ出ていく。いつまでたっても血(資金流出)が止まらない。このまま入れた血が出ていくのなら、きれいな形で船井電気を終わらせたい」と語られたといいます。