「誕生日を祝ってもらった記憶もない家庭で育った」平成ノブシコブシ・徳井 中学からヤングケアラーに「母が精神を病み、家族に対して愛もなかった」
── 両親の故郷、北海道別海町に戻られてからの生活は? 徳井さん:父は地元で就職したものの、やはり不在がち。僕が妹の面倒を見て、家事をする生活は変わりませんでした。3か月に1回くらいは母がドーンって爆発して、この病気はもう治らないな、という感じでした。家にいたくないから、唯一学校で許されていたアルバイトの新聞配達を朝夕5年間、続けました。けれど、家にお金を入れたわけじゃなくて、音楽好きだったのでCDの購入に使って、同級生とはバンドも組みました。
僕は根本的に、団地や地方の山間部の狭い社会が苦手なんです。だから、引っ越した瞬間から、「イヤだ、ここで一生を終えたくない」「東京に行きたい」って、考え続けていました。 ── 東京で芸人になるという目標は、いつから? 徳井さん:勉強する気が失せて、どうしようかなぁと思っていたんですが、料理するのは好きだったので、東京の料理専門学校に行こうとしてたんです。でも、高校のクラスのお笑い好きの女の子が「徳井君は絶対、お笑いに進んだほうがいい」って、熱心に勧めてくれたんですよ。僕は明るくもないし、目立ちたがり屋でもないのに、なんでだろうって不思議でした。でも、それがきっかけでNSC(吉本総合芸能学院)へ。
とにかく、僕の第一目標は「家を出る」こと。芸人になって売れたいわけでも、モテたいわけでも、金持ちになりたいわけでもない。芸人としては、ちょっと変わった入り方かもしれません。結果、嫉妬もしないし、人をほめることにも抵抗はありません。 PROFILE 徳井健太さん 1980年生まれ、北海道出身、NSC東京校5期生。 2000年に吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」を結成。 テレビ朝日系『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』にレギュラー出演中。芸人や番組を愛情たっぷりに考察することでも注目を集めている。 最近では、幼少期の経験から、「ヤングケアラー」をテーマにした講演会を全国各地で行っている。
取材・文/岡本聡子 写真提供/徳井健太、吉本興業株式会社
岡本聡子