「誕生日を祝ってもらった記憶もない家庭で育った」平成ノブシコブシ・徳井 中学からヤングケアラーに「母が精神を病み、家族に対して愛もなかった」
中高時代、部屋に閉じこもる母に代わり、妹の世話や家事や料理までを担っていたお笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井健太さん。「大変でしたね」と話をふると、「困っていなかったし、学校も楽しかった」と意外な答えが。徳井家で何が起きていたのでしょう。(全5回中の1回) 【画像】「家族といても楽しくなかった」小学生時代の徳井健太さんの貴重な写真など(全13枚)
■「誕生日を祝われた記憶がない」家にいても楽しくなかった ── 以前はテレビ番組の影響で徳井さんに対して、物静かだけど少し“クレイジー”な芸人さんというイメージを持っていました。最近は、ヤングケアラーについて語る機会も多く、雰囲気も柔和になった気がします。
徳井さん:僕が中学生のころに、母親が病気で言動がおかしくなった、料理も家事も全部自分がやっていた、というエピソードは、以前から舞台で話していました。でも、お客さんにはまったくウケなかった、というか、多分ひいてたのかな。芸人って常軌を逸しているほうがおもしろいから。楽屋で話したら、芸人の先輩たちにはすごくウケたんですけど。今から思えば、直接言われたことはないものの、お客さんは「かわいそう」って思ったり、どう反応していいのか、とまどっていたのかもしれません。
2022年に『敗北からの芸人論』という本を出版し、「母が統合失調症を患い、中学生のころから家事全般や妹の世話などをすべて担った」と書きました。読んだ人から「ヤングケアラーだったのでは?」と指摘され、調べてみて「そうだったのか」と気づいたんです。 ── ヤングケアラーという存在がとりあげられるようになったのが、最近ですものね。中学時代、お母さんの変化に気づかれたのは、どのようなきっかけですか? 徳井さん:母は、父に全面的に依存した生活を送っていました。父は高卒でしたが、会社から認められ、会社派遣で神戸の大学に進むため、単身赴任したのが発端です。両親ともに北海道の別海町出身で、父の就職を機に千葉に出てきたんです。母は仕事をしたこともなく、親族も友人もいない場所で、21歳で僕を産んで育ててきました。僕が中1のとき、父が会社派遣で大学に行き、帰ってきたら昇進という話で、神戸に行ったんです。突然、家には母と僕と6歳下の妹が残されました。母自身も自覚できないくらい、心にぽっかり穴が開いちゃったんだと思います。