いつ「不適切」の地雷を踏むかわからない…昭和の時代に育った「高齢者の悩み」
日本は今、「人生100年」と言われる長寿国になりましたが、その百年間をずっと幸せに生きることは、必ずしも容易ではありません。特に人生の後半、長生きをすればするほど、さまざまな困難が待ち受けています。 【写真】「うつによる仮性認知症」と「本来の認知症」の見分け方 長生きとはすなわち老いることで、老いれば身体は弱り、能力は低下し、外見も衰えます。社会的にも経済的にも不遇になりがちで、病気の心配、介護の心配、さらには死の恐怖も迫ってきます。 そのため、最近ではうつ状態に陥る高齢者が増えており、せっかく長生きをしているのに、鬱々とした余生を送っている人が少なくありません。 実にもったいないことだと思います。 では、その状態を改善するには、どうすればいいのでしょうか。 医師・作家の久坂部羊さんが人生における「悩み」について解説します。 *本記事は、久坂部羊『人はどう悩むのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。
世の中の変化に対する悩み
高齢者は長く生きてきた分、世の中の変化にも直面しなければなりません。 たとえばITの進歩。私の世代ではパソコンまではなんとか使えても、スマホの新機能やAIになると使いこなせない人が多いのではないでしょうか。 昭和の時代に育った者として、今、世間には「不適切」とされることがあちこちに拡がり、いつ地雷を踏むかと恐れつつ生きなければなりません。 私は煙草を吸いませんが、喫煙者はそうとう肩身の狭い思いをしているはずです。公共の場での喫煙はもちろん、家庭内でも副流煙が嫌われ、喫煙習慣のある人はベランダや庭に出ざるを得ません。私が学生のころは、通勤の電車内や映画館でも紫煙が漂っていたものですが。 ハラスメントという言葉も猛烈な勢いで増殖し、セクハラ、パワハラ、モラハラなどメジャーなものから、アカハラ(アカデミック──)、マタハラ(マタニティ──)、ドクハラ(ドクター──)、ジタハラ(時短──)、リモハラ(リモート──)など、新規参入が相次いでいます。 パワハラで驚いたのは、若手社員が上司に叱られて無断欠勤したら、若手が無断欠勤するような叱り方をした上司が管理部から注意されたという話。 私も勤務していた大学で、学生による講義評価のコメントに、「上から目線で話すのがいや」と書かれたことがあります。こっちは教授でそっちは学生だろと思いましたが、それでは時代の流れに反するのでしょう。 女性の髪型をほめるとか、結婚や妊娠の話題、ちゃんづけでの呼びかけもセクハラとされるらしいので、女性相手の会話は緊張します(ここで「若い女性相手」とするとまた不適切になります)。 新聞の人生相談に、美術館での解説ボランティアをしていた七十代の男性が、小学六年生の男児に、励ましのつもりでポンと肩を叩くと、監視の職員から「児童の身体を触らないで」と注意され、痴漢行為のように言われたのが納得できないというものがありました。回答者は「マナーやふるまいの善し悪しは、時代とともに変化するので、世の中の動きに合わせるしかありません」と答えていました。若いころには問題なかったことが、いつの間にか「不適切」となり、高齢者は戸惑わざるを得ません。 編集者や校正者に文章を直され、無意識の差別や偏見に気づかされることがあります。そんなつもりはなくても、傷つく人がいる、不快に感じる人がいる、見下したような表現はNGなのです。指摘されると、なるほどと反省しつつも、私自身、悪気はないのにと、傷ついたり不快に感じたりします。 最近では「マンスプレイニング夫」なる言葉を目にするようになり、新たな緊張を強いられています。これは「マン(男)」+「エクスプレイン(説明する)」の造語で、「説明したがる夫」という意味らしいです。女性を無知だと決めつけ、上から目線であれこれ説明したがる男性を批判する用語です。 私も妻にいろいろ話したり説明したりするので、背筋が寒くなりました。 たしかに人に説明することには、無意識の優越感や快感が潜んでいるようで、私の知り合いの医者や大学教授にも、おしゃべりが多いです。 この言葉を知ってから、口を開く前に、妻はこの話を聞きたいと思うだろうかと考えるようになりました。おかげで、夫婦の会話がずいぶん減りました。 さらに連載記事<じつは「65歳以上高齢者」の「6~7人に一人」が「うつ」になっているという「衝撃的な事実」>では、高齢者がうつになりやすい理由と、その症状について詳しく解説しています。
久坂部 羊(医師・作家)