「『キャンティ』はみんなの連絡場所だった」「暁星は変なヤツがたくさんいるんです」村井邦彦×岡田大貮《特別対談・第1回》
各界の著名人が集った『キャンティ』
岡田:あの当時は僕が大学出て23歳の頃ですね。 村井:僕もまだ25歳くらいだもんね。 岡田:そうですよね。村井さんはすでに超有名な方だったんだけど、僕はそんなところで修行をしていました。その後、東京に帰ってきて、密にお会いするようになったのは、『キャステル』っていうプライベートクラブを東京でやろうって話を川添さんからいただきまして。川添さんが「君はキャステル知ってるか?」と仰るので、「知っています。行ったことがあります」と伝えました。 村井さんと川添さんはもちろん親友であられたから、それで何度も何度も会うようになった。『キャンティ』の一番上に川添さんのオフィスがあったんですよね。その下がちょっと、会員制ではないんだけれど、常連の人が入るというか、いつも集う、ご飯を食べるスペースがあって。 村井:あったね。 岡田:そこでとにかく僕は川添さんからいろいろな方をご紹介いただいたんです。壁にたくさん写真が貼ってあってね。パリのマキシムの人が来たとか、セザールっていう有名な芸術家が来たとか。 村井:はいはい。彫刻家のね。 岡田:あの当時ね、『ドムス』っていう建築雑誌があったんです。 村井:そうそう、よく覚えています。 岡田:その頃、ドイツの前衛美術グループの「グループゼロ」っていうのをやっていたんですよね。 村井:そうですね。 岡田:そういう人が『キャンティ』に来たりしていたので、僕はビックリして、川添さんにあやかりたいなと思って、一生懸命アシスタントを務めたのがその『キャンティ』の上だったんです。そこで『キャステル』の開店の準備をしていました。リストを集めてどの人を呼ぶとか、その頃はスマホやパソコンなんてないから、全部手書きでチェックしてやっていましたね。 そんな仕事が終わって、だいたい夜7時、7時半ぐらいに下のレストランに行って、川添さんにいつもごちそうになるわけですよ。当然、村井さんもお見えになっているから、ご一緒させていただいて。 村井:『キャンティ』はみんなの連絡場所になっていたんです。だから、用が済んだらとりあえず行って人と会って。 伊丹十三さんは『キャンティ』の隣に住んでいたから、『キャンティ』に一日中座っているわけ。朝から晩までいて、そこに人が訪ねてきて、そこで映画の打ち合わせをして、『お葬式』とか、僕が音楽監督を務めた『タンポポ』とか、全部『キャンティ』で決まっちゃう。みんなが事務所代わりに使っていたから。だから一日のうち何回も行くわけです。 取材・構成/井上華織 撮影/吉場正和 ………… 【つづきを読む】「『キャンティ』での時間は宝物でした」「村井さんは”憧れのお兄ちゃん“」村井邦彦×岡田大貮《特別対談・第2回》
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