広島優勝。緒方監督の数奇な運命
村上スカウトは、九州地区担当の名スカウトで、200勝した北別府学、炎のストッパー、故・津田恒美、2000本安打の前田智徳らを発掘した人で、緒方監督も佐賀県立鳥栖高時代は甲子園出場もなく青学への進学が内定している二塁手だったが、「俊足強肩」、そしてその顔つきを見て判断するという村上スカウトが獲得を主張して、1986年にドラフト3位で指名している。 プロ入り後は、2軍時代から、親代わりに面倒を見続け、オフには緒方監督ら獲得した選手を自宅に招き鍋をつついていた。その村上スカウトが、FA移籍に悩める緒方監督を呼び、こう諭したという。 「決めるのはお前だ。だが、おまえは将来、広島を背負っていく宝。広島でプレーを続けて、もう一度、チームを優勝させてみてはどうだ。選手が揃ったチームで優勝して喜べるか?」。 緒方監督がFA残留を宣言するのは、村上スカウトとの会談後だった。ちなみに緒方監督にふられた巨人は、江藤智にターゲットを変え、江藤がFAで巨人に移籍した。 その父と慕う村上スカウトは、今年1月8日、帰らぬ人となった。79歳だった。 危ないと聞いていた緒方監督は、元旦に北九州の病院を見舞いに訪れ「オフに優勝を報告します」と誓った。今季からヘッドコーチに就任した高信二コーチも福岡の東筑高出身で故・村上スカウトが獲得した選手だった。その葬儀・告別式では緒方監督が弔辞を読んだ。 「もうすぐキャンプです。今季の戦いが始まります。オフには、村上さんにいい結果を報告ができるように、精一杯がんばります。大好きなビールを飲みながら天国から見守ってください」 あのとき、村上スカウトの説得がなければ、緒方監督が広島の監督として胴上げされ、東京ドームに7度舞うこともなかっただろう。FAで移籍していたかもしれない巨人戦での優勝決定も、考えれば数奇な運命である。緒方監督は、優勝を村上スカウトの墓前に報告するという。 (文責・駒沢悟/スポーツライター)