【パリ五輪2024】レスリング・須崎優衣にインタビュー!一筋縄ではいかなかったオリンピック出場への道のりを語る
いよいよ開幕となったフランス・パリ開催の「オリンピック」。32競技329種目、世界各国のアスリートがしのぎを削る。4年に一度の祭典を前に、ウィメンズへルスが特に注目する選手にインタビュー。 【動画】レスリング・須崎優衣選手がQ&Aにチェレンジ!疲れを癒すとっておきの方法も教えてくれた 世界的にも最高峰と言われる、日本女子レスリング。その中で一段と強さを見せているのが、50キロ級の須崎優衣選手だ。撮影現場に晴れやかなあいさつで登場した彼女は、スイーツが大好きでオフの日はカフェで友人と、他愛もない会話を繰り広げるのが何よりもの息抜きだという。 2020年の東京オリンピックでは、初出場で金メダル獲得という輝かしい成果を収めた。2度目となるパリオリンピックでは、どんな姿を見せてくれるだろうか? 彼女の強さの秘訣と普段の顔に迫った。
勝利する喜びが、背中を押し続けた学生時代
須崎選手がレスリングを始めたのは、小学1年生の時。もともと、父がコーチを務めるレスリングクラブに行ったのがきっかけだという(「」内、須崎選手)。 「私から『やってみたい!』と父にお願いして連れて行ってもらったのがレスリングとの出会い。当時、水泳やピアノ、陸上などの習いごとをやっていたけど、レスリングが一番楽しかったですね。試合で勝てると嬉しくて、『もっとうまくなりたい』『もっと勝ちたい』と練習のたびにワクワクしていました。周りの人から素質があると褒めてもらったのもあって、のめり込んでいきましたね」 その頭角はすぐに現れ、中学時代は日本オリンピック委員会が若手の英才教育をするエリートアカデミーで実力を磨き、選手権大会で3連覇を達成、高校3年生の時には世界選手権で初優勝。負けなしの強さを誇っていた。
絶望の淵から掴んだ、初の金メダル
座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」 そんな順風満帆に見えるレスリング人生で大きな逆風が吹いたのが、2019年の世界選手権。勝てば、翌年2020年の東京オリンピック代表内定が決まる大事な一戦だが、須崎選手の姿はそこにはなかった。 「世界選手権の前の大会で敗れてしまい、出場が叶いませんでした。この時、東京オリンピックへの出場の可能性はたった0.01%、絶望的でしたね」。 しかし、世界選手権に出場した別の選手が内定の条件を満たせず、須崎選手に再び代表争いのチャンスが巡ってくる。そして見事勝利し、代表内定を獲得した。 「夢にまで見た舞台に、もしかしたら立てないかもという不安が過りました。今まで頑張ってきた自分を100%信じてあげられていなかったんですよね。でも戦うのは私しかいないし、私自身が私にとって一番の味方でいてあげようって強く思って、臨みました」 そして迎えた「東京オリンピック」での活躍は、周知の通り。 それから3年後、2024年の「パリオリンピック」の代表内定がかかった「世界選手権」は特別な想いで挑んだ。しかし、大会前に右ひざを痛めてほぼ練習ができていない厳しい状況の中での出場だった。 「2019年の『世界選手権』に出場できなかった悔しい思いを必ず果たしたい一心で、挑みました。練習ができていないなかでの出場という今までにない厳しい状況だったけど、絶対に一発でオリンピック出場を決めたいという気持ちが私を強くさせてくれました」。 そして、見事決勝で勝利を収め、パリへの切符を手にした。