「大阪を元気にしたい」 ── 独自路線の「プロレスリング紫焔」が5周年記念興行
プロレスは観る人に元気や勇気を与えてくれる。直木賞作家の西加奈子が直木賞授賞式で「プロレスから勇気をいただいてます」と語って話題になったが、実際、その通りだろう。大阪にもいくつかの団体があるが、その中のひとつ、「プロレスリング紫焔」は、代表兼任の佐原英司さん(リングネーム=キアイリュウケンエッちゃん)が設立したプロレス団体だ。2010年2月20日、大阪・日本橋の四丁目劇場でプレ旗揚げ戦を行い、同3月21日クリエイティブセンター大阪で旗揚げ戦を行った。以降、大阪を活動拠点に、ユニークなイベントを織り込むなど既存のプロレス団体とは違った独自運営を展開している。有料興行のほかに、新世界などの繁華街や地域のお祭りイベントなどで無料興行を行うのが特徴だ。
プロレスを通じて大阪の街を元気にしたい
単にプロレスの試合だけではなく、全体のイベントの一環としてプロレスを行い、プロレスとのコラボでさまざまなイベントを盛り上げている。また、アメリカ村三角公園で1年間12回に及ぶ屋外興行を実施し、多くのファンを魅了した。今もプロレスの可能性を信じ、プロレスを通じて大阪の街を元気にしようと、チャレンジしている。 折しも、この2月21日に「5周年記念興行ボディーメーカーコロシアム大会」が行われた。メインイベント「プロレスリング紫焔タッグ選手権試合60分一本勝負」では、王者キアイリュウケンエッちゃん・ブルアーマーTAKUYA 、挑戦者ラスカル藤原・マロ栗山の白熱戦となった。いきなり場外乱闘から始まり、凶器の竹刀で額を割られたエッちゃんが大流血。床に倒れ込んだまままったく動かない。女性ファンから悲鳴が上がるなか、やっと、リングに戻り、そして反撃に転じる。最後はベルトを死守。3回目の防衛に成功した。
代表兼任の「エッちゃん」のプロレスへの思いは
代表兼任の「エッちゃん」選手にプロレスへの思いや将来の目標などを聞いた。 ──プロレスを始めたきっかけは? エッちゃん 学生プロレスからのスタートです。大阪学院大学でサークルがありまして、そこで新入生歓迎会の試合を観たときに、かっこいいなと思って、もてたいなという思いもありました(笑い)。そうやってプロレスを学んで。学生プロレスを卒業したら、普通は引退するじゃないですか。僕は、ある団体の入団テストを受けて練習生になった。でも、僕のやりたいこととは違ったんで、自分で立ち上げていきたいなと思って。大学のプロレス同好会のやめていった人間を集めて、アメリカ村三角公園でやらないかということで。その流れで、毎月1回、2008年か2009年の間に、アメリカ村プロレスみたいな形でやってた。ただ、ファンの人たちだけでなく、通行人も多いので、路上プロレスに人が溢れてきて。そしたら許可証が取るのが大変になってきた。本来なら公園のなかの敷地内でやるんで、公園許可証だけでいけてたんですが、三角公園はそばに道路があるし、道路に人が集まってきて。道路の許可証はなかなか下りないんですよ。 ──それで団体を立ち上げたんですね。 エッちゃん はい。プロレス紫焔という団体名の由来は、僕のイメージカラーが紫だし、支援されたいということと、焔をかけて決めました。いずれは支援してあげたいし、街を活性化したい、大阪を元気にしていきたいと思ってます。目的はそこにある。無料興行、有料興行を交互に、そしてビッグイベントという形で取り組んでいる。 ──この会場に出るのはどんな思いだったのか? エッちゃん ここは紫焔としては初めてです。キャパが広いし、お客さんの集客ができる。名前負けするんじゃないかという不安もあった。大阪府立体育会館(ボディーメーカーコロシアム)と言うのは、僕たちが小さいときから、学生のときもそうですし、テレビで観てましたし、そういう場所なので。試合をやるにいたって3年目はまだ早い、自分たちが今ならいけると思ったのが、4年目。とりあえず挑戦としてやってみようと…。 ──ところで、メインイベントで流血したときは? エッちゃん 何か落ちてきていると思って、汗でもない、鼻血でもないなって。額を触ったら、真っ赤なんですよ、あ~、割れたなって。マロ栗山選手が竹刀が割れるまできたから。予期せぬアクシデントでしたが、やっぱりここで終わるわけにはいかないんで。頑張ろうって立ち上がりました。