北村有起哉、『おむすび』で念願だった朝ドラヒロインの父親役に「デビュー作で共演した麻生久美子さんと、朝ドラで夫婦役に。父・北村和夫と同じ俳優を選んだからこその決意」
◆高校の文化祭を機に役者の道へ 役者という仕事については、子どもの頃から、父が所属していた文学座の舞台を母と観に行っていたので、知ってはいました。 これは後から聞いた話ですが、舞台で親父が女性にキスをしているのを観た僕が、「やめろーっ!」と叫んだことがあったらしいんです(笑)。『オセロー』というシェイクスピアの四大悲劇の名作で、親父がオセローを演じていて、嫉妬に狂って殺してしまった妻のデズデモーナを抱き上げて接吻するシーンがあったんですね。 僕自身は、小学校2、3年生だったので覚えていないんですけど、劇団内では有名なエピソードとして語り継がれていると、大人になって聞きました。とはいえ、親父が家で仕事の話をすることもなかったので、役者を意識することなく育ったんです。 芝居を面白いと思ったのは高校の文化祭のとき。最初は仕方なくかかわっていたんですけど、「どうせなら面白いものやろうぜ」と、気づいたら自分で脚本、演出、キャスティングまで。さらに、ちょっとおいしい役で出演もして、『仁義なき戦い』のパロディみたいなものを作っていました。 そのときに、「めちゃくちゃ楽しいんだけど!」と思ったんですよね。しかも、文化祭の後にクラスの女子4人から告白されたものだから、「俺、向いているかもしれない」と勘違いしてしまった(笑)。そして、「そういえば、親父ってこういうことをやっていたんだっけ?」と、仕事として役者を意識し始めたんです。
高校卒業後はとにかく基礎を身につけようと、日本映画学校を経て、和田勉さん主宰の俳優養成所で学びました。その途中でオーディションを受けてデビューが決まったのです。それが、今村昌平監督の映画『カンゾー先生』(1998年)。 今村監督は親父と親友でしたから僕のことをご存じでしたけど、それでも選んでくださって、自分の出番がくる前から岡山のロケ現場に入って勉強するように、とのお達しがありました。 ところが、単に人手が足りなくて手伝いが欲しかったみたいで(笑)、「セミの声がうるさいから捕まえてこい」とか使い走りをさせられては怒られる。こんなにこき使われたらさすがにやってられない、と思うようになりました。 するとそれを見透かしたように監督から言われたんです。「お前、もういらないから東京に帰れ」。怖かったですよ。「帰りません」と言って、その後はひたすら働きました。 その体験があったおかげでわかったんですよね。これだけのスタッフの苦労があって役者は芝居ができるんだ。きらびやかに見えるけど、地味で職人のような世界であり、作品はみんなで作るものなんだと。 ちなみに、このデビュー作でご一緒したのが、今回の朝ドラで夫婦役として共演している麻生久美子さん。しっかり一緒に芝居をするのはあれ以来なので、あのときのスタッフさんが観たら喜んでくれているんじゃないかなと思います。 久美子ちゃんとは当時のことを話したりはしませんが、今村監督との共通の思い出があるからか、語らずとも共にいい現場が作れているなと思っています。 (構成=大内弓子、撮影=宅間國博)
北村有起哉
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