献血が「無償の協力」ではなく「有償」だったら…なぜ「身体の一部」を売ることが「タブー」なのか
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】献血が「無償の協力」ではなく「有償」だったら…体の一部を売ることは問題? 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
自由意思で自分の臓器を売ることがなぜ禁じられるか
日本のみならず多くの国々で、臓器の売買は法律で禁じられている。その理由は、おそらく売春を防止しようとすることと同じであろう。苦境にある人が臓器を売ることを強要されることになる、とか、臓器売買は人格を手段として扱うことである、など。 しかし、強制的にされてではなく自発的に臓器を売ろうとする人々にこれらの理由は当てはまらない。 そして、臓器売買を禁じる理由として決め手のようにいわれることは、臓器はそもそも売り物ではない、そんな臓器の商品化は社会に悪影響を及ぼす、という見解である。 だが、私にはこの見解がまったく理解できない。疑問は次の2点である。 第1に、物体である臓器の提供に金銭的対価をなぜつけてはならないのか、という疑問である。臓器を提供するにしても無償で贈与する場合には人道的な社会奉仕だとして賞賛されるのに、有償で提供するとなった途端に奉仕ではなく金稼ぎだと非難されるのはなぜなのか? 有償提供であっても、臓器を一切提供しない人よりは、レシピエントのために奉仕しているはずである。 そして第2に、臓器の商品化は社会にいかにして、どんな悪影響を及ぼすというのだろうか、という疑問である。 日本人は流行に流されやすいところがあるからといって、誰か著名人やスーパーアイドルが臓器を売ったら、みんな我も我もと真似をするだろうか(もしそうだとしたら、かえって臓器不足が解消されてよいのではないか)。 また人間の商品化につながり人格の軽視を引き起こすのではというが、人の善意を無償で利用するよりはマシではないのか。