献血が「無償の協力」ではなく「有償」だったら…なぜ「身体の一部」を売ることが「タブー」なのか
献血がもし有償だったら…
自分の身体の一部を売ること自体は禁じられていない。たとえば、髪の毛を切って売ることを咎める者はいない。 しかしそれは、髪の毛というものが放っておけばまた生えてくるものであり、かつそれを切ったところで本人の健康や命が脅かされる訳ではないからである。 売る対象が血となるとどうか。血もまた再生するから、健康や命に支障がない範囲で提供されるなら売ってもいいのではないかと思われる。 実際、昔は日本でも売血制度があった。日本赤十字社が1952年から血液銀行を各地に設立して、献血者に金銭を支払っていたのである。 ところが、当時の売血者には不健康な人々が多く、赤血球不足の「黄色い血」や肝炎ウイルスに感染した血などが売られ、駐日アメリカ大使が治療の際の輸血がもとで肝炎に罹患するという事件が発生したことを機に、売血制度は廃止された。 しかしそれらの事例は売血制度の運営が杜撰であったから起こったことであって、血を売ること自体を禁じる理由にはなっていない。 不健康な血を買いたくなければ、血液提供者の身元特定や厳密な血液検査を経た上で、採血基準を満たした人の血液だけを買い取ればよい。 健康な血液を持つ者が、自分の意思で血を一定量売ろうとすることのどこがいけないのか。 今日、日本では献血者が激減している。街中で「献血にご協力お願いします」とのアピールをよく耳にするが、「(無償の)ご協力」ではなくて「あなたの健康な血を買います」と言ったほうが、必ず輸血用血液の量が増えるに違いない(ちなみに、売血を禁じている日本は輸血用の血液不足を補うために、皮肉にも売血制度がある諸外国から大量に血液を輸入している)。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美