人間は何のために生きているのか、河合優実のドライな視線が”そこ”に触れる『ナミビアの砂漠』
河合優実主演の映画『ナミビアの砂漠』が現在公開され、大きな話題になっている。 まだ素人の頃に、山中瑶子の長編初監督作品『あみこ』(2017)を観に行った劇場で声をかけられて、自主映画に出演したことがきっかけで、本格的に俳優を目指すようになった河合優実。 【写真】河合優実の演技にも注目『ナミビアの砂漠』場面カット【7点】 山中監督とは、もともと運命的ともいえる深い繋がりがあった河合にとって待望の山中作品への出演であり、女優として新境地ともいえるのが『ナミビアの砂漠』である。 まずタイトルの”ナミビアの砂漠”が何かというと、南アフリカにあるナミビア共和国のことである。と言っても、そこが舞台の物語ではない。実はナミビアの砂漠は、YouTubeで24時間中継されており、その映像が作中でも意味深に使用されている。 砂漠の中に設置されている固定カメラには、ただ広い砂漠だけで、ほとんど何も映っていないが、たまに動物が水を飲みに集まってくる。何もない砂漠と、物と、情報が溢れかえりガチャガチャした2020年代の日本は、全く共通性のないもののように思えるかもしれない。 しかし、先が見えない、自分が何をしたいのか、どこに向かって歩いていけばいいのかわからない……。そんな点においては、現代社会に生きる若者たちの精神状態と重なる部分があったりもする。 絶妙でありながら危なっかしい精神状態の主人公・カナ(河合優実)の物語が描かれていくのだが、河合の何ともいえないドライな表情が、世界を見透かしているようだ。 カナは、とにかく面倒なことには関わりたくない。一応の人付き合いはしており、会話の話題には興味があるふりをしていているが、実際には何の興味もない。かと言って何に興味があるかというと、それが分からない。 何に対してもやる気が起きないし、情熱を感じない。鬱との境界線に立たされているような状態だが、そもそも”鬱”というのも、何をもって、誰の物差しによって決められているのかもあやふや。