「杉原千畝の10倍、シンドラーの50倍」もの命を救った日本人――投獄経験もある「名もなき英雄」が成し遂げた敗戦直後の奇跡を追う
白眼視された“アウトサイダー”が救った命
著者の城内康伸は昨年末まで中日新聞社に在籍、1993年から1996年という金日成が他界した前後の時期に韓国で特派員として勤務。以来30年あまり、朝鮮半島に関わる本をたびたび記してきた。 そんな城内が松村義士男という人物に興味をもったのは、まず彼の功績だ。松村が北朝鮮から帰国させた避難民の数は約6万人。この数が尋常でないことは他の類例と比べればよくわかる。 「東洋のシンドラー」と呼ばれた領事館員(外交官)の杉原千畝がリトアニアでビザを発給して助けたユダヤ系避難民の数は6000人あまり。また、映画『シンドラーのリスト』で広く知られることになった本家、オスカー・シンドラーがポーランドで救ったユダヤ人の数は約1200人だ。数の多寡だけで評価すべきものでもないし、救った手法が共通しているわけでもない。それでも、松村義士男が救った人数は6万人と杉原の10倍、シンドラーの50倍である。 そんな並外れた功績にもかかわらず、松村は自身については恬淡としていた。事実、歴史から忘れ去られていた存在だった。著者はそんな松村の無頓着そうなところにも惹かれている。 「松村は当時、三十四歳という若さであり、一介の民間人に過ぎなかった。しかも戦前には、治安当局の弾圧に遭い、世間からは『アカ』と白眼視された“アウトサイダー”だった。 そんな人物がなぜ、敗戦によって日本が国家としての主権を失い無力だった状況で、在留邦人を引き揚げさせるために身を賭したのか──。その点に私は興味が湧いた」 著者は「はじめに」でそう書いている。 著者は公文書はもちろん、関係者の手記や多数の資料を丹念に集め検証し、松村の足跡を浮かび上がらせた。本書はそんな事実に基づいて記されているが、時折著者の静かな興奮も漏れるように伝わってくる。 6万人という避難民を助けた松村義士男とはこんなやつだったんだよ──。本書を読み終えた読者も、ついそんな話をしたくなるように思う。 ◎森健(もり・けん) ジャーナリスト。1968年生まれ。2012年、『「つなみ」の子どもたち』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2015年、『小倉昌男 祈りと経営』で第22回小学館ノンフィクション大賞、第48回大宅壮一ノンフィクション賞。2023年、「安倍元首相暗殺と統一教会」で第84回文藝春秋読者賞受賞。
ジャーナリスト 森健