大卒よりも高卒? 日本とは全く違う、塾も受験もないフィンランド人の「学歴」の考え方
中学受験が過熱する日本とは違い、フィンランドには「学力」という概念がなく、名門校もエリート校も存在しないのだとか。そんなフィンランドで「どの大学を出たか」という“学校名”よりも重視されるものとは何なのか。 『フィンランドの高校生が学んでいる人生を変える教養』(青春出版社)から一部抜粋して紹介します。 【画像】日本の公立小学校をフィンランドの高校生が訪問!
◆塾も受験もない
フィンランドに塾はない。学校が充分な教育を提供するので、必要がない。また、勉強だけではなく遊びや休息、睡眠とのバランスの取れた生活が重視される。日本のような受験がないことも、塾がない理由だろう。 フィンランドは小中一貫で、高校入学は同じ自治体、または隣接する自治体の希望校に出願する。選考の基準になるのは中学の成績で、基本的に受験はない。例外は、音楽高校を希望する場合などで、実技などの試験がある。大学入学には試験があり、そのための勉強はするが、日本のような受験勉強はない。 一方、日本では受験のため、あるいは学校教育の不充分さを補うために塾に通う子どもが多い。学校が終わると夜遅くまで塾で過ごし、学校と塾の二本立てが起きている。それは、公教育の意味と機能を疑わせるものでもある。また、勉強ばかりの生活になって、遊ぶ時間や睡眠時間、何もしないでいる時間を失ってウェルビーイングに欠ける生活スタイルである。 最近、日本では大学入試が多様化して、推薦や総合型選抜(旧AO入試)が増え、一般試験での大学入学者は5割を切ったという。その反面、特に東京で中学受験が増えている。つまり、受験の低年齢下が起きていて、小学生が良い私立中学入学を目指して猛勉強している。 受験は産業であり、ビジネスでもある。学ぶことや知ることの喜びとは関係ないことに、親も子も心身を削っているのだ。
◆高校卒業のほうが、大学入学より意味を持つ
フィンランドで全国的な試験は、高校の卒業試験と大学の入学試験だけだが、そのための勉強をする期間は短い。どちらも数ヶ月程度が普通で、日本の受験とは異なる。ただし、最近は志望者が増え、試験に合格して入学を認められるのは難しくなっている。何度かトライする、希望の学部を変える、留学するなどのケースが増えているようだ。また、医学部は入学が難しく、スタディグループを作って1年程度、共に勉強することは多いようだ。 面白いのは、高校卒業の方が大学入学よりも重要で、社会的にも大きなイベントであることだ。高校卒業試験は年に2回、3月と10月にあり、上手くいかなかった場合など、3回まで受けることができる。また、受ける科目と科目数は全員同じではなく、自分で決める。これは、日本では考えられないことではないだろうか。最低4科目受ける必要があり、6科目程度選ぶことが多いようだが、中には10科目近く受ける強者もいる。試験の結果は、ラテン語の名前を付けられた7段階で評価される。ラウダトゥーリ、エクシミアなど格調高いひびきの名前だ。 3月の試験とその結果は必ずニュースで報じられ、話題になる。例えば、ラウダトゥーリを 8つ取った生徒がいたなど報じられて、報道からも若い世代への希望や期待があふれ出る。高校卒業試験は、人生の通過儀礼であり大人への門出とも重なる。 高校卒業は18歳頃になるが、18歳は成人となる歳で、保護者の扶養義務が終わる。18歳は地方選挙と国会選挙の選挙権と被選挙権を得る歳で、法的にも大人になる。それまでに学んだことを糧として、自分で考え、良識ある大人として生きていくことが期待され、祝福されるのだ。 フィンランドの学校や大学に入学式はないが、卒業式はある。5月の終わりか6月初めが多く、高校の卒業式の後は、親が親類や友人を招待して自宅でパーティを開く。北欧の美しい夏の始まりの時期、心浮き立つイベントだ。 フィンランドでは、必ずしも高校卒業後すぐに大学に入学するわけではない。高校卒業後、何をするか、大学に入学するとしたら、それはいつ入学する等は、成人後のことになるので親はほとんど関わらない。そのため高校卒業のパーティは、保護者が子どものために行う最後のイベントになる。大学入学は、それに比べると地味な出来事である。