『光る君へ』の紫式部は当時<極めて遅い>26歳前後で藤原宣孝と結婚。婚期が遅れた原因は性格や結婚観などでなく、単に…
現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部を中心としてさまざまな人物が登場しますが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏・国際日本文化研究センター名誉教授いわく「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった」とのこと。倉本先生の著書『紫式部と藤原道長』をもとに紫式部と藤原道長の生涯を辿ります。 【書影】古記録で読み解く平安時代のリアル。倉本一宏『紫式部と藤原道長』 * * * * * * * ◆紫式部の上京 結婚の決心がついたのであろう、紫式部は長徳3年の年末か翌長徳4年(998)の春、父を残して単身、都へ帰った。 鹿蒜(かえる)山から呼坂(よびさか)を越え、今度は琵琶湖東岸を舟で進み、雪の伊吹(いぶき)山を見ながら磯の浜を経て、ふたたび打出浜(うちいでのはま)に着いた。 「都の方へ帰るというので、鹿蒜山を越えた時に、呼坂という所のとても難儀な険しい道で、輿(こし)もかき難じているのを、恐ろしいと思っていると、猿が木々の葉の中から、たいそうたくさん出て来たので、」といって詠んだ歌は、 ましもなほ 遠方人(をちかたびと)の 声かはせ われ越しわぶる たにの呼坂 (猿よ、お前もやはり遠方人として声をかけ合っておくれ。私の越えあぐねているこの谷の呼坂で) というものであった。 猿の声など、はじめて聞いたことであろう。伊吹山を見ては、 名に高き 越(こし)の白山(しらやま) ゆきなれて 伊吹の嶽(たけ)を なにとこそ見ね (名高い越の国の白山へ行き、その雪を見馴<な>れたので、伊吹山の雪など何ほどのものとも思われないことだ) と詠んでいる。いかにも自分は人の知らぬ特別の経験を積んだ者だといわんばかりであるとのことである(清水好子『紫式部』)。
◆紫式部が思い出しているのは? 往路の歌の間に紛れ込んだ錯簡(さっかん)であろうが、琵琶湖東岸の磯の浜(現:滋賀県米原市磯)で、磯の陰で鳴いている鶴を見ては、 磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なに思ひ出づる 人やたれぞも (磯の浜のものかげで、私と同じ気持ちで鶴が鳴いている。一体何を思い出しているのかしら。思い出しているのは誰なのかしら) と詠んでいる。紫式部が思い出しているのは、もはや越前に残してきた為時ではなく、都で待っている宣孝だったのであろうか。 長徳4年の夏、宣孝から、「親しく話すようになって、2人は互いに心がわかったでしょう。この上は、同じことなら、隔てをおかない仲となりたいものです」という歌が届けられ、それに対して、 へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる (私は心の隔てをもたないようにと思っていつもお返事をしていますのに、「へだてぬちぎり」をもちたいとおっしゃるお言葉で、まずあなたのお心の薄さがわかったことです) と返してなじっているのも、正式な結婚に向けた手続きといったところであろうか。 なお、この年の8月27日、宣孝は山城守(やましろのかみ)を兼任することになった(『権記』)。
【関連記事】
- 『光る君へ』宣孝の4人目の妻になった紫式部。最初そんな雰囲気はなかったのに…20歳差の結婚に秘めた<それぞれの思惑>を日本史学者が解き明かす
- 本郷和人『光る君へ』すれ違うまひろと道長。現実として二人が結ばれた<可能性>を考えてみたら意外な結論に…
- 『光る君へ』未登場「紫式部の姉」とはどんな人物だったのか?紫式部の婚期を遅らせたかもしれない<ちょっと怪しい関係>について
- 本郷和人『光る君へ』定子出家後に義子・元子が入内するも一条天皇は会おうともせず。彼女らが暮らす<後宮>内の男性関係がどうなっていたというと…
- 本郷和人『光る君へ』本郷奏多さん演じる花山天皇に入内した井上咲楽さん演じるよし子は、そのまま「夜御殿」で…そもそも「入内」とは何か