ジャガーの「猫殺し」は、プロモーション依存のブランディングの終焉を示している
害を与えるな
医師には「ヒポクラテスの誓い」という鉄則がある。「まず、害を与えるな」―これは医療の大原則だ。実は、最高マーケティング責任者(CMO)にも、同じような原則が必要とされている。既存のブランド価値を傷つけてはならない、という鉄則だ。 大手消費者ブランドのマーケティング戦略について、わたしは数多くの助言をしてきた。その経験から見えてきたのは、CMOたちの切実な現実だ。彼らは自分たちの任期が限られていることを痛感している。そのため、意味のある変化かどうかはさておき、とにかく目に見える動きを示すことに躍起になっている。 その結果、何が起きるか。「進歩」と呼べない活動に終始することになる。つまり、スタイリッシュな若手を揃えた「新進気鋭の」広告代理店に大金を投じ、広告業界全体で最も派手に金を使った企業に賞を贈るイベントを開催する、といった具合だ。 「このブランドの歴史の一部となれることを光栄に思います。前任者たちのブランド管理の素晴らしさには驚くばかりです」 そんなことを言う新任CMOは、一人もいない。かわりに聞こえてくるのは決まって、「ようやく私が着任した。すべてを一新する時が来た」という類の就任演説だ。 この手の行動は、ほぼ確実に自滅への道を開く。 振り返ってみよう。第二次世界大戦後の約50年間、ビジネスの成功法則は単純だった。平凡な製品を作り、それを感情(つまりブランディング)という装いで包み込めばよかったのだ。 当時の米国では、夜になると約6割の人々がABC、CBS、NBCのいずれかのチャンネルに釘付けになっていた。テレビ広告という「魔法」によって、たかが数セントのピーナッツペーストが、「賢い母親はジフを選ぶ」というフレーズとともに、母親の愛情が詰まった特別な瓶へと変身を遂げたのだ。 しかし、インターネット時代を迎え、ネットワークテレビは終末期に入っている。その象徴が、オムニコムとインターパブリックの合併案だ。わたしがブランド戦略コンサルティング会社のプロフェットを立ち上げた頃、この二社は今日のグーグル(アルファベット)やメタに匹敵する巨人だった。それがいまや、急速に減少するアザラシを追いかけ、溶け行く氷の上で身を寄せ合う、痩せ細った2頭のホッキョクグマのような存在と化している。 この比喩は、ひどく残酷でありながら、ある意味で見事な表現かもしれない。とはいえ、やはり残酷さの方が勝っているが。 ブランドの持つ力は、かつての輝きを失った。今日の消費者は、製品を見つけ出し評価するための精密な道具立て──グーグルやソーシャルメディアなど──を手にしている。 例を挙げよう。わたしは頻繁に旅をする。以前なら、見知らぬ街でホテルを選ぶ時、有名ブランドに頼るしかなかった。マンダリン・オリエンタルやフォーシーズンズの看板があれば、7点か8点レベルの確かな体験が約束されていた。 しかしいまでは、ChatGPTなどのAIツールを駆使して、その時々の気分や目的に合った9点レベルの体験を探し出している。ベルリンのソーホーハウスのジム、ビバリーヒルズのウォルドルフの屋上レストラン、チルターン・ファイアーハウスのバー。特権的な嫌な奴に聞こえるだろうか? あなたの直感は正しい。 インターネットは、最強のブランドの牙城さえも切り崩した。さらには、ナイキ、インテル、ターゲットといった企業が、平凡な製品を優れたブランディングで守ってきた防壁すら、その影響は及んでいる。 「あなたをより賢く、よりセクシーに」──そんな約束を果たせない製品やサービスは、ドン・ドレーパーの助言を受けても、その運命を変えることはできない。 結局のところ、本当に価値ある製品を開発・改良し、サプライチェーンを立て直し、顧客サービスを向上させる地道な努力は、Midjourneyに新しいロゴをデザインさせるよりも、はるかに多くの労力を必要とするのだ。