会社が傾くほどの問題作! 拍子抜けするスペックに寄せ集めパーツって「TVR魂」がまったく感じられない「タスミン」という悲惨なクルマ
多くのクルマからちょっとずつパーツを寄せ集めたディテール
また、リリー社長が製作費のコストダウンも命じたものだから、ディテールを見てもさまざまなクルマからの寄せ集めがすごいのなんの。たとえば、ドアハンドルはフォード・コルチナ、室内側のハンドルはオースティン・メトロ、リヤランプはフォード・カプリやルノー12で使われているものを流用し、灰皿はヒルマン・インプからいただきって感じ。そればかりか、メカニズムに関しても数えきれないほどのいただきものに囲まれちゃっているのです。 まずはギヤボックスはロータス・コルティナ、フロントブレーキとラジエターはフォード・グラナダ、ハンドブレーキは機構ごとロータス・エリートで、ステアリングまわりはトライアンフTR7やローバーSD1からの流用と、あたかも英国車オールスター戦です。 むろん、当時のTVRは自社開発エンジンをもっていませんでしたから、タスミンも同様に英国フォードから2.8リッターのV8エンジン「ケルン(Cologne)」を仕入れていたのでした。そもそもは1962年に生まれたユニットですから、さして高性能というわけでもなくボッシュ製インジェクターを装備して162馬力ほどのピークパワーを発揮。パワー至上主義者でなかったとしても、拍子抜けするようなパフォーマンスです。 リリー社長はなにを血迷ったのか、この2.8リッターモデルの下級レンジとしてフォード・ピントの2リッター直4エンジンを搭載したタスミン200なるモデルも投入したのですが、クーペは16台、コンバーチブルも45台しか売れなかったという惨憺たる結果に終わっています。 発売翌年の1981年になると、タスミンは早くもフェイスリフトが施されました。フロントサスペンションの設計変更やさまざまなマイナートラブルの解決がなされただけでなく、冗長だったフロントノーズがスパッと短くされています。また、特徴的だったガラスのリフトバックも角度が調整されるなど「かなりスタイリッシュ」とリリー社長も喜んだとか。同年にはコンバーチブルも追加されたのですが、これまたTVRのDNAを感じづらいもので、販売のテコ入れには程遠いものだったようです。 一応、2.8リッターの公表パフォーマンスを記しておくと0-60mph加速(97km/h)8.0秒、8.2秒(オートマチックギヤボックス)、最高速度: 130 mph (209 km/h)と、スポーツカーというより「乗用車」に近いかと(笑)。 結局のところ、1982年にタスミンの生産台数は121台という最低値を記録するなど、目も当てられないことに。それでもTVRは1985年までに年間生産台数を472台に巻き返すこともあったのですが、タスミンは1167台の生産をもって(TVRにしては)短い生涯を閉じたのでした。 こうしてみると、TVRがリリー社長からピーター・ウィーラーの手に渡ったあともタスミンは生産されていたことになり、経営破綻の直接的な引き金になったわけではないことがわかります。カッコ悪くて、パッとしないタスミンではありますが、TVRの節目を飾った異色のモデルと受け止めることもできるのではないでしょうか(そうはいっても、中古市場での人気もさほどあるようには見えませんけどねwww)。
石橋 寛