80年前の「隠された地震」、昭和東南海地震の津波から祖父救った恩人…SNSで繋がった「不思議な縁」
太平洋戦争末期の1944年12月に紀伊半島沖で発生した昭和東南海地震から7日で80年となる。犠牲者は1200人以上とされるが、国民の戦意をそがぬよう、被害はほとんど公表されず、「隠された地震」と呼ばれる。被災地の三重県紀北町出身の東直樹さん(58)は、米国に住む同郷女性との交流で、津波から祖父を救った恩人のことを知り、思いを巡らせている。(津支局 根岸詠子) 【写真】奥田ホーランドりえさん
80年前、東さんの祖父、甚四郎さんは紀北町の海沿いに住んでいた。「祖父が津波で命拾いをしたことは子供の頃、聞いていたが……」。東さんは振り返る。地震の翌月に甚四郎さんは亡くなり、詳細は知らなかったという。
現在は都内に住む東さんが、当時のことを詳しく知ったのは、米国在住の奥田ホーランドりえさん(62)との交流がきっかけだ。24歳まで紀北町で暮らし、同郷のSNS友達の一人だ。
44年12月7日、奥田さんの伯父で、戦艦「大和」の乗組員だった長井幸夫さん(当時21歳)は、紀北町の実家に一時帰省していた。激しい揺れの後、長井さんは隣の家で、病気で寝たきりだった甚四郎さんに気づき、高台まで背負って避難した。
間もなく巨大な津波が襲来し、周辺は壊滅的な被害を受けた。甚四郎さんは、長井さんに感謝を伝えた。母艦に戻った長井さんは45年4月7日、米軍の攻撃を受けて大和が沈没し、戦死した。奥田さんが幼い頃、母親から聞かされたという。
2015年にフェイスブックで知り合った東さんと奥田さんが、紀北町で隣同士だった甚四郎さんと長井さんの親類だと気づいたのは22年4月のことだ。東さんの母親が昭和東南海地震を巡る投稿をしたのがきっかけだ。「不思議なご縁ですね」。3人は互いにメッセージを送り合った。
東さんと奥田さんは、今年2月には、紀北町にある両家の墓を一緒に訪れた。長井さんの墓前で、東さんは祖父を助けてくれたことへの感謝を伝え、手を合わせた。