「花山法皇の娘」のあまりに“壮絶すぎる最期”。恋愛に奔放だった花山法皇は母子と関係を持った
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めました。今回は花山法皇の娘の悲惨な最期について、解説します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真】花山法皇の父である冷泉上皇。写真は冷泉上皇の陵 ■花山法皇の皇女の悲惨な死 1024年12月、花山法皇の皇女がお亡くなりになりました。亡くなったと言っても、病で亡くなるといった「畳の上での死」ではありませんでした。ご遺体は、夜中、犬に喰われるという悲惨なものでした。
『小右記』(藤原実資の日記)によると、花山法皇の娘として生まれた皇女は、藤原彰子に仕えていました。彰子は藤原道長の娘であり、後に一条天皇の皇后となり、後一条天皇を産んだ女性です。 それにしても、皇女がなぜ彰子の邸宅で女房として仕える身となったのでしょうか。その要因は、花山法皇の放埒な女性関係にあったとされます。 986年、花山天皇は宮中を出て、出家・退位します。出家して法皇となったものの、女性関係は華やかでした。摂政・太政大臣にまで上り詰めた藤原伊尹の娘である九の御方(9女との説がある)と恋愛関係になり、花山法皇は伊尹の娘の邸宅・東の院に出入りするようになります。
すると花山法皇は、東の院にいた伊尹の娘(九の御方)に仕える女房にも手を出しました。花山法皇の愛情は、次第にこの女房に移っていったようです。 中務と呼ばれるこの女房は、花山法皇とは乳母子に当たる関係でした(花山法皇の乳母は、平祐之の妻。乳母が産んだ子が中務)。花山法皇と中務は、以前から顔見知りだった可能性が高いと言えましょう。 九の御方に飽きた花山法皇は、御方を異母弟・為尊親王の愛人とするように差配したとのこと。
中務という最愛の人に巡り会ったかと思われましたが、ここで花山法皇は「暴走」します。新たな女性と関係を持つに至ったのです。 ■母子それぞれと関係を持った花山法皇 その女性というのが、何と、中務の娘でした。中務は未婚ではなく、平祐忠という中級貴族の妻だったこともありました(花山法皇の愛人となったときに、夫婦関係があったか否かは不明です)。 祐忠と中務の間には子が産まれます。それが、平子という娘でした。平子まで法皇の寵愛を受けることになったのです。しかも、法皇は、中務・平子という母娘を妊娠させてしまいます。2人は男子を産むことになります。