京産大とのリベンジマッチに臨む早稲田PR亀山 座右の銘とするアントニオ猪木の詩のごとく、迷わず1年間スクラム強化
中学で大阪を離れ茗渓学園へ
佐藤キャプテンとともにFWを引っ張る亀山は岡山県出身で、両親、姉も医者という一家に生まれた。父親が大学でラグビーをやっていた影響で4歳から岡山ラグビースクールで競技を始めた。 中学進学時、岡山県内でラグビーが部活動でできる中学校がなかったこともあり、親元を離れて茨城・茗渓学園中学校に進学した。太陽生命カップや茨城中学代表に選出され、全国ジュニア大会などにも出場した。早稲田大のFL萩原武大(3年)は中学、高校の同級生だ。 高校はそのまま茗渓学園に進学した。高校1年から先発となったが、「花園」こと全国高校ラグビー大会は3回戦で長崎北陽台(長崎)に負けてベスト8進出はならなかった。高校2年時は2回戦で大阪桐蔭(大阪)、3年時は初戦で佐藤がキャプテンで優勝した桐蔭学園に敗れ、上位進出することはかなわなかった。
憧れていた早稲田に進学「赤黒ジャージーに誇り」
高校に入った頃、亀山は「大学はラグビーを続けないで普通に通おう」と思っていた。しかし、桜のジャージーに袖を通すことができるU17日本代表に選ばれたことで「大学でもしっかりラグビーを続けたい」と考えるようになった。また「小さい頃から、父親といっしょに早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学のラグビーをテレビで見ていて、早稲田大に憧れていた」と話す。 そして早稲田大のスプリングスクールに参加させてもらい、相良南海夫監督(当時)に、「赤黒ジャージーへのこだわりや、『荒ぶる』(優勝したときのみに歌うことが許される第二部歌)の説明を受けて、すごく感銘を受け、早稲田大ラグビーが面白そう」と思い、スポーツ科学部への進学を決めた。 「自分の中では早慶戦、早明戦に出られることや、赤黒ジャージーを着て試合に出られることもすごく誇りに思っています」 卒業の来春からはリーグワンでラグビーを続ける予定だ。 プロレスラーのアントニオ猪木が引退時に披露した「道」という詩の、最後の部分「迷わず行けよ。行けば分かるさ」が好きで、座右の銘としている。