「自主性」を重んじるか、「主体性」を重んじるか
コーチになる人、ならない人
過去20数年にわたり、多くの人がプロのコーチを目指して当社の門をくぐりました。新卒採用を始めたのは2016年ですから、それ以前は中途採用です。転職してくる人からすると、単に別の会社に移るということを越えて、プロのコーチになるためにコーチ・エィという「道場」に入門するようなところがあります。 ほとんどの人は、並々ならぬ覚悟と決意で、それまで勤めていた会社を辞め、プロのコーチになるべく道を歩み始めます。ですが、プロのコーチになり、大企業の管理職や経営者を高いレベルでコーチングできるようになる人と、なかなかその域には到達せず、残念ながら、途中でプロのコーチになる道をあきらめてしまう人とがいます。 最終面接を行っている私としては、相応の自信をもって優秀なコーチになれると展望した人だけを採用しています。しかし、それでも、結果としては伸びる人と伸びない人がいる。 吉井監督は、先の言葉にこう続けます。 「主体性と自主性の大きな違いは、モチベーションに表れる。自分で決定することと、人に決められてやることでは、モチベーションが異なる。集中の仕方も違えば、持続する期間も変わる。調子が悪くなった場合、すべてを自分で決めていると振り返りによって何が悪いのか認識しやすい。さまざまな意味で、主体的に自己決定をしていくことは、スポーツ選手にとって大きくプラスになる。」 弊社では、コーチになるための様々なトレーニングメニューを用意しています。そうしたメニューを次々にこなして、早々と次のステージに移っていく人がいます。傍からは「行動力に溢れた、将来が期待できる新入社員」に映ります。 たしかにその通りです。しかし「行動が速い」ことだけにフォーカスしてしまうと、見誤ることもあるのかもしれません。吉井監督の表現を使えば、「その人は自主的ではあるけれども、主体的ではない」可能性がある。
主体性を持たせる覚悟
吉井監督は、ロッテの監督になって真っ先に次のような「基本方針」を自分で決めたといいます。 「選手に主体性を持たせ、自ら考え、自ら決断し、自ら行動できるようになってもらいたい。そのためにできることはすべてやる。」 この吉井監督の方針に照らし合わせたとき、私自身に「社員を主体的にするために、できることをすべてやる」という覚悟があったかという問いが回ります。新入社員の自主性が高いことにどこか安心を覚え、そこで止まってしまっていたかもしれないと思うのです。 そもそも日本人は学生の頃から、学校のクラスでも、部活でも、吉井監督のいう「自主性」を求められます。つまり、決められたこと、求められたことを素直にやることを期待されている。 会社に入ってからも同じです。「自ら考える人が必要」と、社長が訓示を述べたとしても、多くの現場では主体性よりも自主性を重んじる傾向が強いのではないでしょうか。多くの上司は、部下の自主性を前に安心します。繰り返しになりますが、それも必要なことでしょう。しかしそれでは、会社の方針に従って一生懸命仕事する社員は育っても、自らコンテクストや歴史を創る主体者であるという意識をもつ社員は生まれてこないかもしれません。 先月、米ギャラップ社が発表したエンゲージメント調査の2024年版で、日本は世界最下位を記録しました(※2)。ここ数年、この傾向は変わらず、何年にもわたって世界最低水準をキープしています。自分が社会や国を変えられると考えている人の割合もとても低い状況です。 さて、翻って、みなさん自身はどうでしょうか? また、みなさんの部下はどうですか? その行動の速さは、自主性から来るものですか? それとも主体性から来るものですか? まずは立ち止まって考えることがスタート地点かもしれません。