病気が発覚したのは出産時。それまでの海野さんは仕事人間で、「社畜の海野P」と愛を込めて揶揄されていたほど。妊娠がわかったときは当時の上司に「ソッコー産んでソッコー戻ってくるんで! 私のポジション、空けておいてください」なんて念を押して産休に入ったそうです。(mi-mollet(ミモレ))
「普通ではないことは可能性。世界80億人の『異彩』が自信を持って放たれる世界を目指すことが、私たちのミッション」【HERALBONYインタビュー】
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