テストで良い点を取っても「こんなの何かの間違いでしょ」娘の全てを否定する母親の“背景”とは【しんどい母の手放し方・第4回】
人気カウンセラー・根本裕幸さんの連載、テーマは「しんどい母親の手放し方」。毒母育ちライター・M子のカウンセリングは、ここから母をひも解くターンへ。M子が「今でも忘れることができない」というあるエピソードから、性格、家族との関係、生い立ちなど、母親の背景を探っていきます。
あの日、母から言われた忘れられない言葉
根本 M子さんのしんどさをいろいろ聞いてきましたけれども、それが「お母さんのせい」というのは昔からずっと思っていたんですか? それとも後から気付いたんでしょうか。 M子 後から気付きました、30歳頃ですね。気付けたのは多分、ライターという仕事のおかげなんです。人に会って話を聞く機会に恵まれた職業だし、この仕事をしていると入り組んだ話を整理して考えたり、モヤモヤした感情を言語化することもできるようになるので。いろんな人の話を自分と重ねて考えて、それで気付けたって感じですね。 幼いころから母が嫌いで苦手でしたけど、いろいろうまくいかないのは自分の性格のせい、私がいけないんだと思っていました。でもそうじゃないとしたら、自分以外に原因があるとしたら? と考えた時に、ああ、お母さんだなって。なぜかというと、私の人生で彼女のことだけがずっと解決していないから。 根本 なるほど。お母さんは、わりと支配的な人なのかな。 M子 支配的ではないんですけど、とにかく私が目立つことが許せないんです。母から言われた忘れられない言葉があるんですけど、私、中学に上がった時にはじめて塾に入れてもらえたんですね。それまでピアノもそろばんもお願いしたけどやらせてもらえなかったので嬉しくて、すごく頑張って勉強したんです。そうしたら最初の期末試験で学年5位になったんですね。 いっても中1の内容ですけど、自分がそんなにいい成績を取れると思わなかったので本当に嬉しかったんです。母に認めてもらいたいという気持ちがずっとありましたし、やっとこれで少し見返せるというか、褒めてもらえるんじゃないかと思って。ところが成績を報告した時、母の反応は「ふうん」のひとことでした。そのあと、2つ上の兄と母と私の3人でごはんを食べている時に、兄に向かって笑いながら「M子がそんな順位取れるなんて、何かの間違いだよねえ?」って言ったんです。 ああ、終わったなと思いました。この人は何がなんでも私のことを認めたくないんだな、母親として完全に終わってるなって。“すーっと心が冷えていく”って表現がありますけど、あの時の感覚はまさにそんな感じでした。 兄は、母との間に問題を抱えているわけではなかったけど、さすがにその時はドン引きしていました。母と私を交互に見ながらどうフォローすればいいのか分からないって顔をしていたけど、そもそも15歳の男の子にそんなことできるわけないですし。私からしたら、兄が母に同調しなかっただけでもありがたくて、気まずそうな兄を見て少しホッとしたのを覚えています。
根本 裕幸