「人格者を重用するな」。伊藤忠ではなぜこの言葉が語られるのか?
世界的な原料高騰が続く中、追い風を受ける日本の商社業界。中でも伊藤忠商事は財閥系以外の総合商社として時価総額を大きく伸ばしている。なぜ、伊藤忠は圧倒的な成長を遂げているのか。その答えの一つは、創業以来受け継がれてきた「商人」としての心構えにある。 【全画像をみる】「人格者を重用するな」。伊藤忠ではなぜこの言葉が語られるのか? 本連載では、岡藤正広CEOをはじめ経営陣に受け継がれる「商人の言葉」を紐解きながら、伊藤忠商事がいかにして「商人」としての精神を現代に蘇らせ、新たな価値を生み出しているのかを深掘りしていく。 第13回は前回に続き、伊藤忠商事を創業した初代伊藤忠兵衛の話から始める。
「おかげさまと水運の利用」
初代忠兵衛は熱心な浄土真宗の信者だった。「商売は菩薩の業」と言ったのも信仰とともに仕事をし、生活していたからこその言葉だ。 店を開いてからは朝と夕方、仏壇に向かって念仏を唱えた。毎月一度は法話会を開き、従業員、取引先、近所の人間も参加してもらった。 そして忠兵衛を始めとする近江商人はおかげさまの延長で「させていただきます」という言葉を使った。ところが、今ではファーストフードの店を筆頭にサービス業の仕事現場では「させていただきます」が当たり前の敬語になっている。 浄土真宗を開いた親鸞の『教行信証』には「他力というは、如来の本願力なり」とある。他力とは他人の力のことではなく、阿弥陀如来の大きな力のことだ。おかげさまとは阿弥陀如来に対しての言葉、大きな力のおかげで生きていられる、何事かを成しとげたという意味だ。 だからといって初代忠兵衛は阿弥陀如来にすがって生きたのではない。仏という大きな力を敬い、教えをよりどころとして、自らの判断と才覚で人生を切り開いていった。 正しい信仰のあり方だった。宮本武蔵の言葉とされる「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」に似ている。
「陸を往かずに海を渡る」
初代忠兵衛たち近江商人が大きな力として利用したのが琵琶湖から京都、大阪、瀬戸内海から日本の各地へ続く水運だ。 近江商人が他国の商人たちよりも恵まれていたのは地元の産物を地元から船で全国に輸送できることだった。 初代忠兵衛は持ち下りに際して、琵琶湖の東、湖東地区から麻布などを九州へ持っていくのに水運を駆使した。湖東の豊郷から彦根の薩摩浜(さつまはま)までは約7キロ。 その間だけ荷車を使い、そこからは琵琶湖、高瀬川、淀川を利用して、京都、伏見から大阪へ。大阪から先は瀬戸内海を大型の和船で運んでいった。特に琵琶湖を使えることは経費の点で大きな利点があり、しかも、運搬の時間もかからなかったのである。 さらに琵琶湖を水源とし大阪湾に注ぐ淀川は、上流域で瀬田川、中流域で宇治川と名を変えている。淀川は京都と大坂を結ぶ交通の大動脈だった。 わたしたちは江戸自体の物流というと漠然と馬で運んだものと思っているけれど、商人たちが利用したのは河川と海の水運だった。 陸路には関所がある。通行手形や荷物を調べられる。また、道中、宿に着くごとに馬や荷車から荷物を下ろして載せ替えなくてはならない。 陸路は往来そのものに時間を取られるし、煩瑣な手間がかかる。その点、船は載せてしまえば何もしなくていい。陸を往くより海路を使った方が便利だった。