「人格者を重用するな」。伊藤忠ではなぜこの言葉が語られるのか?
「人格者を重用するな」井上準之助の言葉
初代伊藤忠兵衛が亡くなった後、次男の精一(1886年から1973年)が二代目伊藤忠兵衛と名乗り、伊藤忠、丸紅の両社を経営した。二代目忠兵衛が継いだのは兄の萬治郎(長男)が早世したためだ。 二代目忠兵衛が終生、尊敬したのが井上準之助だ。井上準之助は首相の山本権兵衛、濱口雄幸に大蔵大臣として仕えた金融財政の専門家で、日本銀行の総裁も2期、務めている。 二代目忠兵衛は若い時、井上本人からこう言われた。 「君の人物評定は大体正しい。その半面、感情が非常にきつい。感激性が強いのと、正義を愛する精神から少しでも曲がったやつを排し、人格者を重用したがる性格がよく見える。しかし、それはどうかな。能力と人格が並行する人もあるが、そうでない場合もままある。ことに君のような古い家では牢番頭のなかには『命をかけて』などという人もいるはずだ。それはまことに迷惑な話だ。一方的な見方で物事を処理してはいけない。俺が君に言いたいのは、人格者ばかり使ってはいけないということだ」 人格者とは優れた人物、高潔で道徳的な人の意味だが、井上が表現した「人格者」は少し意味が違う。例に挙げた忠義ひとすじの牢番頭のような人間のことだ。 忠義ひと筋だが頭が固い、柔軟性がないということだろう。そういう人間はビジネスで革新的な提案をしてこないのではないかと暗に伝えていると言える。 井上準之助は経済のことがわかる政治家で、第二の渋沢栄一とも呼ばれた実務家だ。 「人格と能力はまた別の問題だ」と人事に際しての本音を正義感あふれる若い弟子(二代目忠兵衛)に伝えたかったのだろう。
中興の祖も「人格者は重用しない」
伊藤忠の中興の祖と呼ばれたのが越後正一だ。越後は昭和の高度成長時代に伊藤忠の社長を務め、在任中に資本金を6.5倍、従業員数を2.7倍、売上高を10倍、グループ会社数を2.5倍と大きく成長させた。そう自分で書いている。 越後は二代目忠兵衛の薫陶を受けたこともあり、非常に尊敬していて、大切にしていた言葉もまた二代目と同じだった。 「(二代目忠兵衛)翁には、若い頃からいろいろと教えられたが、事業経営の話の中に、経営にとって、人格者ほど危ないものはない(注 ここまでは言っていない)というのがあった。これは翁がまだ若い時、のちに蔵相になって金解禁をやった井上準之助氏から、在米中に教えてもらった言葉だと聞いたが、聖人君子というだけでは経営は難しい。信用はできても、経営の才能は別だから、それを混同しないようにということだが、大変味のある教訓だと思う。事実私の知る限りでも、どうかと思う生き方で、うまく成功している人が多くある。それなりの手腕と努力はわかるが、そこに厚かましさというか、並々ならぬ神経の太さがある。人生は運、根、鈍というが、あるいは運と横着だといえるのではなかろうか」(『私の履歴書』越後正一) 越後による井上準之助の言葉の理解は二代目の理解とは少し違う。 越後はこう受け取った。 「儲けるためには道徳ではなく、腕力で戦ってくるやつがいる。自分たちが真似しようとは思わないが、商売のライバルにはそういうやつがいることを忘れてはいけない。商売に際して、ええかっこしいだけではいけない」 越後は苦労していることもあって、二代目忠兵衛よりもなお、人の裏の顔をよく見ている。人格の力だけでビジネスができると思ったら、それは大間違いだ、と。 何も越後の人格がよくないわけではない。口に出す者は多くはないが、「商売にええかっこしいは必要ない」は経営者の本音だと思う。 資本主義の世の中では金力と腕力と強引さはそれなりの力を持つ。 ただ、それを自己中心的に使うから問題が起きる。金力、腕力、強引さを自覚している人間は自分のためだけでなく、その力を使うべきだ。