「人格者を重用するな」。伊藤忠ではなぜこの言葉が語られるのか?
「優等生のアイデアは保守的で退屈」
岡藤正広もまた「人格者を重用せず」について、その意味を尊重している。 WBCベースボールクラシックで大谷選手を擁して世界一を勝ち取った栗山英樹との対談でこう言っている。 「立派な人の言葉も(忘れられないものがある)。例えば井上準之助という人がいたんです。日銀総裁、大蔵大臣。この方が『人格者を信用するな』と言っているんです。 どういうことかと思ったら、人格者を否定するんじゃなく、人格者というのはだいたい保守的で常識的なことしか言わないから、難局を切り開くための斬新な発想はないと。だからそれをうのみにしてはいけないよと。そういうことなんですよね。なるほどなと(思いました)。 会議でも、だいたい優等生的な人が言うのはあんまり役に立たないんですよ。ちょっと、やんちゃくれの人が言うほうが、ヒントになる場合がある。こういうことですよね。(略) 多様性というのはそういうことだと。優等生的な人ばっかりでは、会社は伸びないですよ。特に先が見えない時代ですから。いろいろな人を集めて、それはスポーツ系も理科系もいろんな人を集めて、力を結集していくというほうが幅が広い」(NHK番組での対談) 岡藤は「保守的な優等生だけのチームでは混迷の時代を生き抜くことは難しい」と捉えている。 確かに彼は財閥系商社の真似をしたわけではない。財閥商社にいるような優等生チームを伊藤忠に作ったわけでもない。財閥系にはあまり見かけないやんちゃくれのキャラクターも入れて、財閥商社の優等生チームと戦っている。 人格者というより、純血種を作ると戦う時、作戦の選択肢が少なくなると恐れたのだろう。突飛な意見でもいい、常識的なプラン以外の奇策も歓迎するのが野武士集団と呼ばれた伊藤忠の経営スタイルだ。
「百人のうち九十九人に誉めらるるは善き者にあらず」
戦国時代の武将、武田信玄は「人格者を重用するな」に似た格言を残している。 「百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず」 全員がその人を誉めるとは要するに八方美人で自分の意見を持っていないからだろう。周りも心から誉めるのではなく、これといって指摘するような固有の美点が見当たらないから、とりあえず誉めたわけだ。 毒にも薬にもならない退屈な人間だから、100人のうち99人が「いい人ですよ」と言っておくのである。それだけのことだ。 この言葉は通常であれば名言の範疇には入らないだろう。だが、伊藤忠の経営者のうち、中興の祖と岡藤はこの言葉を実感している。 商売と経営には実用的で役に立つ商人の言葉だ。 おそらく同社のトップは「人格者を重用するな」を守っているのだろう。だからといって伊藤忠の経営陣に人格者がひとりもいないという意味ではない。人格者はいる。それはわたしが保証する。 (文中敬称略。第14回に続く) 野地秩嘉(のじ・つねよし): 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』『高倉健インタヴューズ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』など著書多数。
野地秩嘉