消えた“野生動物” 新型コロナの震源地 中国・武漢の「海鮮市場」で起きている変化 パンデミックから5年 今も封じ込められる「批判」の声
1月23日に武漢はロックダウン(都市封鎖)された。医師や看護師も混乱し誰も娘の治療にあたる人はいなくなったという。 新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん 「食べるものも飲むものも自分で確保しなければならなくなりました。やがて娘は『ママ、身体が痛い。息ができない』と言って苦しむようになりました。29日に娘は集中治療室に送られました。私はなにもすることができませんでした」 そして2月6日に娘は亡くなったという。 新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん 「これは一生忘れることができない悪夢です。いまでもスマホを見るとき、娘の写真が出てくると思い出してしまう。そしてとても辛いのです。この苦しみを乗り越えることはできないようです」 ■「情報の隠ぺいが娘の死につながった」と訴え当局の監視下に そして決死の国外脱出 楊さんは「地元政府が当初 新型コロナを隠ぺいしたことが娘の死につながった」などとして地元の政府を相手取り訴訟を起こそうとしたが、訴状は受理されなかった。そして、地元当局の監視下に置かれるようになり外出するときは尾行されるようになったという。それでも裁判をあきらめなかった楊さん。夫は当局との戦いをやめようとしない楊さんのもとを去っていった。 新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん 「私は地元政府が情報を隠ぺいしたことの責任をとり謝罪するよう求めました。過ちを犯したのだから謝罪して欲しいと、とても小さな要求だと思います。やがて私は当局に尾行されるようになりました。行く先々でカメラを向けられ写真を撮られるようになりました。彼らは私の生活の大部分に侵入してくるようになりました。これ以上中国にいることはできなかった、いたら窒息死してしまうと感じたのです」 耐えかねた楊さんは23年3月、隣国のラオスに出国。タイやトルコなどの国を経由して現在はオランダで難民として生活しているという。 新型コロナで娘を亡くした 楊敏さん 「私が武漢を離れると住んでいたコミュニティの監督者から電話がかかってきて『どこへ行ったのか?私たちも同行したい』と言われました。私は携帯のカードを捨て、命の危険を感じながら運転し続けました。その後、ラオスに足を踏み入れたとき安全でないことは分かっていました。それでも中国から脱出できたことは幸運だと感じました。今は難民キャンプにいますが中国にいたときよりも自由だと感じます」