多くの人が間違っている「人生の終わり方」…終活で「幸せになる人」と「不幸になる人」の決定的な違い
元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。 【画像】ほとんどの人が老後を大失敗する「根本的な理由」 ※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。
終活はしなくていい
近年、地方自治体では、高齢者を対象とした「終活講座」のたぐいがよく行われていると聞きました。 終活とは、人生の終わりが近くなっていることを見越して持ち物を整理したり、死後、家族に迷惑をかけないように遺言状を作ったり、お墓の準備をしたりすることだそうです。自治体の「終活講座」で取り上げられるのも、相続税や贈与税のしくみ、遺言状の書き方、葬儀・お墓・家財整理などに関することが多いといいます。つまり、これらのテーマが高齢者の大きな関心事になっている、ということでしょう。 私自身は、名古屋にある丹羽家代々の墓には入らず、夫婦二人で墓に入るつもりで、ワイフと一緒に永代供養墓の契約をしました。自宅からわりと近くて子供たちが行きやすいところを選びました。 永代供養墓の契約と書籍と仕事関係の資料の処分をした程度で、ほかに終活らしきことはしていません。もともと、本以外のモノはそうたくさん持っているわけでもなく、私が死ねば全部まとめて捨ててくれればいいだけのことです。 コロナ禍以降、葬儀を簡素化する家庭が増え、葬儀をせずに荼毘に付す「直葬」というケースも少なくないといいます。埋葬も、寺院や民間企業が運営する「お墓マンション」のような施設への納骨、樹木葬、散骨など、さまざまなスタイルがあるようです。 そうした選択肢から自分の望む葬儀や埋葬のスタイル、戒名まで決めて準備をしておく人もいるそうですが、私にはそういう希望も特にありません。葬式は、私が生前お世話になった人を呼んで普通にやってくれれば、それでいい。戒名も、家族が私らしいなと思うものをつけてくれれば、それでいいと思っています。 終活は一種のブームになっているようです。その背景には、以前に比べて、人に面倒をかけることに対する社会の許容度が小さくなり、世間の目が必要以上に厳しくなってきていることも影響しているのかもしれません。 もちろん、人に面倒をかけないに越したことはありませんが、人間である限り、誰かに面倒をかけてしまうのは、ある程度しかたのないことです。残された者にとって、遺品の片付けはたしかに面倒でしょうし、葬式の準備や執行には各方面への気遣いも要るでしょうが、人が亡くなるというのは、そういうものなのです。 自分が死んだあと家族の手を煩わせたくない、との気持ちから終活をするのは悪いことではありませんが、死後の始末に罪悪感を覚える必要はないと思います。