腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて死に至る…日本各地で発生した「謎の病」を解明した人々の闘い(レビュー)
次なる大問題は、その感染経路である。水が関係しているらしいことから、最初は飲用水が問題視された。しかし、対照実験のお手本のような美しい研究から、経皮感染であることが明らかになる。画竜点睛として、人に感染するには中間宿主として死の貝、ミヤイリガイが必要だということが、その淡水に棲む貝に名を残す九州帝国大学医科大学・衛生学教授の宮入慶之助によって発見される。このあたりが前半のクライマックスだ。 ここからは、治療法の開発、薬剤の散布や水路のコンクリート化によるミヤイリガイの駆除、感染地域での啓蒙活動、中国にもあった日本住血吸虫症への医療援助へと話は進む。1955年に訪中した日本からの医学団に周恩来が助言を求め、のちに毛沢東が大いに感謝したという話や、当時の中国の厳しい医療状況には隔世の感を抱かせられる。また、ミヤイリガイが生息する環境をなくしてしまえばいいのだから、稲作を果樹園に転換することも有効な対策になる。これが、甲府盆地でブドウ栽培が盛んになった理由のひとつだというのには驚いた。それだけ日本住血吸虫症が地域に与えた影響は大きいのである。 片山記が作成されてからだけでも一世紀を優に超えるという壮大なストーリー、それが実に手際よくまとめられている。そう、一世紀以上だ。ウイルスと寄生虫は大きく違うので一概に比較することはできない。しかし、新型コロナウイルスワクチンを待ちわびていた頃を思い出してほしい。ずいぶんと待たされたような気がするが、わずか1年あまりでしかなかった。それと比べると、日本住血吸虫症の感染地域における人たちの苦しみや病気を退治したいという思いがいかに長かったかがわかる。 藤浪、桂田、宮入といった後世に名を残す有名研究者たちだけではない。他にも数多くの研究者や市井の医師たちが心血を注いだ。さらには患者たちを含むさまざまな立場の人たちが力をあわせたからこそ、その原因が究明できたのだ。そして、撲滅には、薬学や工学といった他分野の力、そしてここでも、感染地域における一般の人たちの協力が必要だった。対象地域が限定されていたとはいえ、国を挙げての総力戦が、本邦での日本住血吸虫症の撲滅を成し遂げたのだ。ことさらに日本はすごいなどと強調するつもりはない。しかし、日本住血吸虫の発見と撲滅は、間違いなく近代国家としての日本が取り組み、大成功を収めた誇るべき業績のひとつである。ひとりでも多くの人に、この本を読んで感動を共にしてもらいたい。 [レビュアー]仲野徹(生命科学者/大阪大学名誉教授) 大阪大学大学院医学系研究科教授。1957年大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業。内科医を経てドイツに留学。帰国後は京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て現職。著書に『幹細胞とクローン』(羊土社)、『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(学研メディカル秀潤社)、『エピジェネティクス』(岩波新書)、こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)など。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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