腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて死に至る…日本各地で発生した「謎の病」を解明した人々の闘い(レビュー)
腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくなって死に至る……そんな「謎の病」をご存知だろうか? この病は、かつて日本各地で発生し、原因も治療法も分からないことから人々を恐怖に陥れた。医師たちの奮闘により、明治半ばには原因が寄生虫であることがわかってくるが、その克服には、さらに100年近い時間がかかった。 この謎の病との闘いを描いた一冊がある。ノンフィクション作家・小林照幸さんによる『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』(新潮社)だ。 「日本住血吸虫症」は「地方病」とも呼ばれ、地方病について書かれたWikipedia記事はそのおもしろさ、読みごたえから「Wikipedia3大文学」の一つと称されている。Wikipediaの「地方病(日本住血吸虫症)」記事の主要参考文となっている本書の読みどころとは? 内科医から生命科学者として研究の道へ進み、現在は「隠居」として暮らしている仲野徹さんの書評を紹介する。
仲野徹・評「『謎の病』克服を描いた圧巻のノンフィクション」
COVID-19の記憶は生々しい。2019年の秋に感染が始まり、翌年の1月には、世界保健機関が新型コロナウイルスによるものであるという声明を発表した。PCRによる検査は瞬く間に開発され、2021年にはワクチンが各国で認可された。このスピードを『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』のテーマである日本住血吸虫の研究と比較すると、医学の進歩というものがいかに素晴らしいかに刮目せざるをえない。 話は江戸時代にさかのぼる。甲府盆地の一部、釜無川流域には体中に水が溜まって死んでいく「水腫脹満」という病気があった。備後国・福山の北にある川南村には、同様の症状を呈する「片山病」という病気があった。病気に罹る率も、命を落とす率も非常に高かった。原因はわからず、もちろん治療法もなく、住民たちは苦しむばかりだった。 時代は明治へと移り、ようやく近代医学による研究が開始された。といっても当時のことだ、使える武器は顕微鏡のみである。おそらくは寄生虫によるものだろうと当たりはつけられたが、なかなか証拠はつかめない。そこで投入されたエースが、京都帝国大学医科大学・病理学の教授、藤浪鑑であった。 あまり知られていないが、藤浪は、ウイルスが腫瘍―藤浪肉腫―を引き起こすことを見出した超一流の学者である。まったく独立してウイルス発がんを発見した米国のペイトン・ラウスがノーベル賞を受賞したことからわかるように、文句なしにノーベル賞級の学者だった。残念なのは、ラウスが受賞した時には、すでに藤浪が亡くなって30年以上もたっていたことだ。ウイルス発がんという超弩級の発見をしながら、寄生虫病の権威でもあったのだから当時の学者というのはすごいものだ。 その藤浪、解剖所見から、片山病患者における新種の寄生虫卵の存在を断言する。これを受けて岡山医学専門学校・病理学の桂田富士郎教授が苦心の末、ついに「日本においてこれまで記録されていない、雄の住血二口虫」が原因であることを突き止め、日本住血吸虫と命名する。時は明治37年(1904年)、病状を詳しく記述した「片山記」が著されてから57年もたっていた。しかし、こうなると話は早い。瞬く間に、片山病も、佐賀にあった類似の奇病も、福岡で「マンプクリン」と呼ばれていた腹水が溜まって死ぬ病気も同じ寄生虫によって引き起こされることが明らかになっていった。