「袴田事件」弁護団長の西嶋勝彦氏が死去 “雪冤”への思いを句に遺す
「袴田事件」弁護団長の西嶋勝彦弁護士が1月7日死去した。82歳。近年は間質性肺炎を患っていた。 福岡県生まれ。中央大学卒業。今よりずっと難関だった司法試験に合格して1965年に弁護士登録。八海事件、徳島ラジオ商殺し事件、島田事件などの著名な冤罪事件を手掛けた。袴田事件は第1次再審請求の90年頃からかかわり、2004年から団長を務めた。
「西嶋氏をよく知り、葬儀で弔辞を読んだ「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹氏(69歳)は「厳格な人。声はドスがきいて野太い。最初は怖くて話しかけられませんでした」と懐かしく話す。そんな西嶋氏が一番嬉しそうな表情を見せたのは「何と言っても袴田(巖)さんが釈放された14年の静岡地裁での再審開始決定です。怖い印象の先生が満面笑みでした。病躯を無理して頑張ってくださった」。恒例の自作の俳句(後述)をしたためた年賀状が今年も届き、年始でお会いする際にお礼を言おうと思っていたのにと悔しがる。 東京高裁での第2次再審請求審(14~18年)や、ついに昨年10月から始まった静岡地裁での再審(本誌昨年11月10日号など参照)では車椅子、酸素ボンベを装着という姿で、毎回欠かさず静岡地裁まで通っていた。閉廷後の弁護団記者会見では事務局長の小川秀世弁護士に大半を語らせていたが、楽観的な見通しを小川氏が語ると「まだまだ油断できない」と横から引き締める姿が印象的だった。 小川氏は「多くを語らない人で堅い印象でしたが、弁護団会議に支援者を参加させるなどの配慮をするようになった頃から、温厚になった気がします」と振り返る。 「西嶋先生からは、僕が『もっと(警察の)証拠捏造を強調すべき』『警察の偽証罪も再審理由にしてゆくべきだ』と少々突出した意見を述べた時にも最初は戒められたけど、最後には認めてくださった。会議で多くの弁護士たちの意見がまとまらなかった時も、最後にはどっしりと構えた先生がまとめてくださったんです」(小川氏) 1月16日と17日の再審期日後の記者会見では、巖さんの姉の袴田ひで子さんと弁護団が西嶋団長の遺影を飾って記者会見に臨んだ。ひで子さんは「もう感謝の思いしかありません」などと話した。