地元住民も困惑の住所『葦北郡 芦北町』「あし」の漢字が郡・町で違う理由を探ると第3の「あし」も発覚して… 【熊本】
地元でも『あしきた』の字が違う理由はあまり知られていないようです。そこで、謎を解明すべく「芦北町役場田浦支所」を訪ねました。 ■「葦北郡」は奈良時代からあった!? 『あしきた』の歴史に詳しい町の職員、深川裕二さんと大島幸輔さんと共に、まずは『あしきた』の始まりを紐解きます。 芦北町教育委員会 深川裕二さん「元々『葦北郡』という地名が昔からありまして、奈良の平城京で発見された木簡に『葦北郡』という漢字が使われています」 葦北郡は奈良時代にはすで存在していて、その名は日本書紀にも出てくるんです。 深川さん「1300年以上使われている地名、ということになります」 ■「芦北町」が生まれるまで 葦北郡の中央に、政治経済の中心だった佐敷町(当時)がありました。1955年に周辺の村と合併し、郡名と同じ「葦北町」が誕生。 この時は郡と町名は同じ漢字でした。 1970年、その葦北町が湯浦町と合併した際に、いまの芦北町に名前が変わりました。 深川さん「もしかしたら…の話なのですが、郡と同じ『葦北町』の名前が引き継がれると、湯浦町の方が吸収されたようなイメージがあるので、対等に合併したという意味で漢字を変えたのではないかと考えています」 ■昔からあいまい?第3の『あしきた』も現る 簡単な「芦」の字は、実は昔から使われていたといいます。 深川さん「『葦北町』だった時代に行われた合併10周年式典の写真を見てみると、垂れ幕には『芦』の字が書いてあります」 また、江戸時代の地図には『芦北郡』と書かれているものもありました。 そして更に、大島さんから驚きの事実が告げられます…。 芦北町 大島幸輔さん「『あしきた』の『あし』という字には、3パターン漢字があります」 『葦』『芦』に加え、『蘆』の漢字も使われていたと言うのです。 大島さん「例えば明治時代の神社明細帳には『葦北郡』『芦北郡』『蘆北郡』の3パターンが、同じ書物の中に混在しているんです」 『芦』は『蘆』の略字。三つとも水辺に生える植物が語源です。読み方が一緒で同じ意味を持つことから、どの字も違和感なく使われていたのではないかといいます。
大島さん「おそらく、みんな手書きするときは簡単な『芦』を書いていたんだと思います。公的な文書でも、ですね」 ちなみに深川さんと大島さん、2人は今の正式な住所は漢字で書けるのでしょうか? 深川さん、大島さん「書けます」 ――町民なら当たり前に書ける…と? 深川さん、大島さん「いやっ、書けない人も多いと思います!」 町の事情に精通している2人からしても「書けない人も多い」という住所、それが『あしきた』郡 『あしきた』町。ここまで読んだあなたなら、きっともう正しい漢字を覚えられたのではないでしょうか?
熊本放送