【第2回】始皇帝陵 兵馬俑が守ろうとした「世界」とは?
見えてきた始皇帝陵の全貌
始皇帝陵は中国陝西省西安市の郊外に位置します。一辺の長さ約350メートル、高さ約75メートルの四角錐形をした高まり「墳丘」があり、古文献の記載や科学調査によってここの約30メートル地下には始皇帝の棺を納めた「地下宮殿」と呼ばれる広大な空間のあることが知られています。未発掘ながら、司馬遷の『史記』には地下宮殿に機械じかけで動く水銀の川と海を作り、天井には星空を表したとあります。
これまでの調査によって、この墳丘周囲の地上と地下にもさまざまな関連施設のあったことが明らかになってきました。墳丘および墳丘を二重に取り囲む城壁の内側(南北約2.3キロメートル×東西約1キロメートル)を中心部として、始皇帝陵の範囲はその外側を含む7.5キロ四方にまで達します。これは東京都の世田谷区にほぼ匹敵する広さです。近年、その範囲はさらに広がるという見解も出されました。始皇帝陵に関するこれまでの認識は、大きく見直されようとしているのです。 始皇帝陵の墳丘周辺には、これまでに200基近くもの副葬品などを埋めた竪穴「陪葬坑(ばいそうこう)」が見つかっています。陪葬坑はそれぞれ異なる性格や役割をもっており、副葬品の内容もそれによって変わります。粘土を焼いて固めた人物や動物の像「俑」は、死後も存在すると信じられた墓主の霊魂に仕えるために古くから中国で作られてきましたが、始皇帝陵の陪葬坑にもさまざまな種類の俑が副葬されました。 たとえば、墳丘の東側で発掘されたある陪葬坑では正座をした男性の俑とともに、大量の馬の骨格と「厩」の字を刻んだ土器が出土しました。これにより、正座をした俑は馬飼いをかたどったものであり、この坑は厩舎を写したものであることが判明しました。
ほかにも、雑技団のメンバーと思われる人物の俑11体をまとめて出土した陪葬坑や、文官の俑が集中的に見つかった陪葬坑などが発掘されています。これらの俑は明らかに兵士とは異なります。しかし、始皇帝陵で初めて見つかった俑が軍団を丸ごと写した兵馬俑であり、そのインパクトが強烈だったため、後に別の陪葬坑で発見されたこれらの俑も「兵馬俑」と通称されています。兵馬俑坑は独立して存在するのではなく、200基近く存在する陪葬坑の一部であり、これらと互いに連携して始皇帝陵という全体を構成しているのです。