耳の不調公表・ばんばひろふみ「前向きさは原点。年を重ねたら鼓舞してくれるもの見つけないと」
「ステージやテレビでの歌唱を今までより少し控えようと思っています」。3月、ばんばひろふみ(74)が加齢性難聴による耳の不調を公表した。再び人前で歌うために、今、ボイストレーニングを重ねている。「音楽が当たり前でなくなり、存在の大きさを実感した。失ってしまうのは耐えられない」と語る。(池内亜希)
ビートルズの曲、違って聞こえた
公表から約1か月半後の5月、取材に応じる表情は穏やかだった。「励ましの声を多くいただいて。隠していてもしょうがないね。自分の悪いところは言うとかんと。すごく楽になりましたよ」
最初に異変を感じたのは、6、7年前。若い頃から数え切れないほど聴いてきたビートルズの曲が、いつもと違って聞こえた。オーディオの故障を疑い、替えてみたがよくならない。これはおかしいと受診し、難聴が判明した。「一番の商売道具じゃないですか。その耳がダメになるってのは非常にショックで」
現在、自分に聞こえている音程と実際の音程にずれが生じている状態。「ある程度は歌える」が、微妙に高さが外れることもある。「まずは、耳と喉の感覚を作り直そうと。自分が出す音が正しい音程かを確認してもらいながら、正しい音程の感覚を覚えていく。自信がつけばライブを再開させたい」と、週1回のボイストレーニングを続ける。
思い返せば、中学2年でビートルズと出会ってから、この道まっしぐら。クラシックギターの弦を自力でスチール弦に張り替え、コードもチューニングもわからないまま、無我夢中で耳でコピーし、演奏した。
いちご白書、SACHIKO…音楽やめたいと思ったことない
1969年に「ジャッケルズ」でデビューし、71年に「バンバン」を結成。関西フォークの担い手となり、荒井由実(松任谷由実)提供の「『いちご白書』をもう一度」で人気を博した。学生運動の後、若者がそれぞれの道を歩み始めた時期だった。「日本を変えられると思っていたみんなが権力と闘い、負けた。みんなの心の隅っこにあった敗北感への鎮魂歌になった」と振り返る。